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父から家に電話があったとのこと。
年末年始に音別に帰省する予定だと、文子が伝えたところ、
大喜びしていたらしい。
実家に折り返しの電話を入れると、父は外出して不在。
母が「まあ、愚痴を聞いてほしくて電話したんだわ。」と。
今年に入ってというか、愚痴の電話が増えた。
正確に言うと、愚痴ではなく相談の電話。
以前は、そういう電話が少し面倒な気分も多少あったが、
然が生まれてからは、素直に相談にのれるようになった。
父、来年は年男、還暦。
お互い歳をとったということか。
自らを信じる。
自分自身の行動承認ではなく、存在承認。
自分の行動を信じるのではなく、存在を信じる、認める。
自分の行動を認めるのは、時々難しいけど、
存在しているんだから、存在を認めるのは簡単だ。
生きてんだから。
東京都の私学助成、私立学校の認可・指導及び動向、並びに私立学校に関する統計資料等、東京都における私学行政の概要をまとめたもの。
その本が出版されているということも知っていたし、その著者の活動がNHKの特番が放映され、話題になったということも知っていた。本屋に並んでいるのも何度も見ている。でも、買っていなかった。
じゃあ、なんでその本を買ったのか。母が僕に読むことを薦めたからだ。
母が僕に本を薦めるというのは、僕の記憶にある限りは初めてのことだった。
買ってはみたものの、やっぱり読む気があまりしなくて、そのままにしておいた。
2、3日前に電話で、「あの本、読んだ?」と母が確認してきた。
「買ってあるけど、まだ読んでない。」
「そう。」
少し寂しそうな感じだったので、慌てて読んでみた。
母が、僕に薦めた理由がなんとなくわかった。
彼女が「母親」だから薦めたんだろう。
そして、「学校やるなら、こういうこともしっかりやってね。」という願いなのだろう。
父からよりも母から「性」「生」というものについては学んだ気がする。
僕は、小学校2年生のときには既に、「精子」「卵子」「受精卵」という言葉を知っていたし、どうして子どもが生まれるのかも理解していた。母がそれを教えてくれたし、教えてくれたことを図書館の図鑑で調べ、「本当なんだ」と再確認した。
逆に「死」については、父から学んだほうが多い。「死」について語るとき、いつも彼は「バトンタッチ」という言葉を使う。
こういう本を読むと、変革は本当にたった一人からスタートするんだな、と改めて感じる。
勇気が出ました。
アキラとメグに誘われて、静岡県の公立中学校を訪問。
学校を訪問・見学するときは、私立と公立では意識的に注目する視点を変えている。
私立の学校では、学校運営に。
公立の学校では、子どもと大人の関係に。
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いろいろな問題を抱え、保健室登校をしている生徒がいた。
3人。
以前はもう一人いたそうだ。
その生徒は、あるタイミングで教室に戻った。
教室に戻れた生徒、まだ保健室登校の生徒。
教室に戻れた生徒の担任は、とにかく毎朝、保健室に顔を出し、
生徒に一言声をかけていたらしい。
伊藤守さんも言っていた。
コミュニケーションは内容じゃなくて、「ある」こと自体に価値がある。
子どもが問題なのではなく、その子と関わる大人の問題なのだ。
彼は、きっと本人は「コミュニケーションは得意!」と思っているはずだ。
いつも彼は人の話を聞いていない。
いつも自分の話しかしない。
だから話をしていてつまらない。
「あー、この時間が早く過ぎてしまわないかなぁ。」と思う。
そう思わせているということに気がついていないようだ。
指摘してあげればいいのだが、
まぁ、これが終われば一緒にミーティングすることもないだろうと思うと、
やり過ごしてしまう。
でもさ、締切日に何もペーパーを提出しないってのは、やっぱりマナー違反だよなぁ。
久しぶりに南アフリカ国歌の一部になっている「Nkosi sikelel' iAfrika」を聞いた。
僕がこの歌をよく歌っていた頃は、まだ、この歌は南アフリカの国家の一部ではなかった。
アパルトヘイトがまだその頃の南アフリカにはあったから。
1990年、高校3年生のときに、「アマンドラ」という反アパルトヘイトの音楽集団を函館に招き、
公演してもらう活動に参加していた。
函館西高校の福田純子さんと一緒に、オープニングの挨拶させてもらったり、
推薦入試で大学は合格していたのをいいことに、まあ、一生懸命やってた。
「Nkosi sikelel' iAfrika」、いい歌だ。
ある学校の関係者の方から、素敵な写真が送られてきた。
やった生徒たちも、許した先生たちも素敵だ。
(どこの学校かわかってもコメントでばらさないでね。)
「家庭のなかの子ども学校のなかの子ども」 滝川一広著 岩波出版
品切、重版未定で手にはいらない。
誰か持っている人、譲ってください。
って、こんなところに書いてもだめか。
読み書き計算が大事だと思うんだけど、なぜ大事なのか、まだしっかり説明できていない。
これ、課題。
これが(自分で納得のいくように)説明できるようになれば、ステップアップできるな。
ほかの人が納得いくように説明できなくてもOKとする。
森田華子さんに連れられてポット出版の沢辺さんを訪問。
森田さんは洋服を着ていた。
和服姿しか見たことがなかったので、
「あ、洋服も着るんだ」と当たり前のことを思ってしまった。
そりゃそうだ、洋服も着るよな。
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沢辺さんを囲んでの話はめぐりめぐっていろいろなところに飛んだり跳ねたりしたけど、
「教育」がテーマだったことは確かだった。
最終的にやろうと思ったことは、
1)以下の3つの本を読んでみる(沢辺さん、ありがとうございました)
2)川上不白の「守破離」、世阿弥の「序破急」について書かれている本を読んでみる
それにしても、勉強って何のためにするんだ?
学校って何で行くんだ?
先生の役割って何だ?
まあ、今日は気分がいいのでいっぱい書いちゃうけど。
伊藤さんに醍醐に連れて行ってもらった。
ある時期、毎日のようにここの近辺を通っていて、
「ここはどんな料理が出るんだろう」と想像していた。
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その前に、どうせなら愛宕神社にお参りしてから行こうと思って、
待ち合わせの少し前に愛宕神社の下に到着。
出世の石段を見上げ、一人で階段を上がる。
上を見ずに足元を見て黙々と上る。
1礼2拍2礼(たぶんこれでいいはず)。
下る。
下りは転ぶと怖いので、手すりにつかまりながら下りる。
初めて出世の石段を一人で上り下りした。
まあ、一人だとつらいな。
上りより、下りのほうが怖いな。
下りは手すりがいるよな。
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そんなことを考えながら、
そういう行動を、何か他のものにあてはめながら考えようとするのって、
あー、まだなんか甘いな、オレは、と思ったら楽になった。
玉川大学、曽野洋先生の「教育の原理」の講義。
ゲストスピーカーとしてスピーチ。約70分。
一番後ろに座っている学生が、
すっと手を挙げて発言してくれるのはうれしい。
後ろまで伝わっているのが確認できる。
それにしても今日使った部屋は、
僕が夏のスクーリングで総合演習を履修したところ。
教育学部206。
まさか、そこで数ヵ月後にスピーチするとは思いもしなかった。
帰りに図書館に寄って借りた本は、
江戸の寺子屋入門ー算術を中心として(佐藤健一編 研成社)
日本人をつくった教育―寺子屋・私塾・藩校 日本を知る(沖田行司著 大巧社)
ブレーキを踏むのが遅かったのか、早かったのか。
アクセルを踏み込みすぎたのか、そうじゃなかったのか。
ハンドルを右に切りすぎたのか、左に切りすぎたのか。
よくわからないけど。
どちらを選択すればよかったのか。
どちらを選択しなければよかったのか。
選択するまでわからないし、
選択しないまでわからない。
児童生徒には携帯電話を必須にする。
毎朝、携帯電話に一斉にメールを配信する。
前向き短いメッセージ、本人に気づきを感じてもらえるようなメッセージを配信。
伊藤さんのやってるみたいな感じに。
希望すれば保護者にも同じように配信してあげる。
考慮すべき点
・アドレスが変わった場合の対応
・悪用の問題
・携帯電話を持たせたくない保護者、持ちたくない児童生徒への対応
このあいだの学校ラジオもそうだけど、
大人と子どものコミュニケーションのルートを、
複数つくり、太くしていく。
「教室で口頭」中心だけじゃ、不足。
そして、効率よく。
連塾第三講。根岸の真言宗のお寺、西蔵院。
二次会で金子郁容先生と長く意見交換する時間に恵まれる。
「人事がキー」という視点は共通。
もしかしたら大学院のときに、金子郁容ゼミじゃなければ、
教育に足を突っ込まなかったかもなぁ、と、ふと思った。
「先生」が与える影響は大きい、やっぱり。
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見えてきていないのは、人事がキーだとしたときの次の段階。
「どんなスキル、マインドを持った教員を採用していくのか?」を
見定める必要があるかな、と、ふと思ったけど、
そうではなくて、「レベルとタイプ」で考えたほうが、しっくりいきそう。
ひとりひとりの教員を考えるのではなく、チームで考えていく。
「レベルをあわせて、タイプを散らす。」
じゃあ、何のレベルをあわせて、どうタイプを散らすか。
どうレベルをあわせていって、何のタイプを散らすか。
次のステップはこれ。
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「型」にはめてみる。どこがはまり、何がはまらないか。
「型」を会得した上で、どこを守り、どこを崩すか。
ここ数日間で、2タイプの歴史の話を聞く。
一つは、歴史そのものの話、つまり、いつ誰が何をしたか。
もう一つは、歴史から未来を見通す話。
湯河原の指月に一泊。
1991年オープンの新しい旅館。
今まで泊まった旅館の中では、一番新しい旅館だろう。
あまり過度な期待をしていなかったのだが、
かなり満足度高。
料理は抜群にうまい。
はずれの料理が一品もなかった。
鯛の刺身が出てきたときに、「またか…」と思ったけど、
初めて鯛の刺身をおいしいと感じた。
夜ご飯はもちろん、朝ご飯であれだけ満足させるのはすばらしい。
お風呂も循環させてないし。
宿泊せずに料理だけもOKみたいだが、
朝ご飯を食べるなら、やっぱり一泊。
ゆりこさんからの情報。
携帯電話禁止の学校が多いが、
岡山学芸館高校は、携帯電話の使用解禁し学校連絡にもメール活用しているらしい。
参考記事 http://www.mainichi.co.jp/edu/koukou/news/0306/14-1.html
それにしても、この学校のホームページ、楽しい雰囲気です。
http://www.gakugeikan.ed.jp/
ゆりこさん、情報提供ありがとう。
金子がデジタルマンガでデビュー。
http://jump.shueisha.co.jp/henshu/JDM/index.html
これの一番右側の「トラベル&トラブル」をクリック!
他の2作品と比較しても明らかだけど、「デジタルマンガ」をしっかり提示しているのは、
金子の作品だと思う。
アニメでもなく、RPGでもなく、漫画でもない。
それが金子が提示している「デジタルマンガ」。
次話を期待。
ちなみに、僕の似顔絵もヤマケンの似顔絵も金子の作品なのだ。
クリスマス・イブなので、夕方に急遽思い立ってスタッフド・チキンをつくる。
ダッチオーブンなら仕込みも入れて2時間で完成!
然との二人暮らしが、急遽スタート。
26日の夕方、年内最後の打合せが終わり、
そのまま自宅に戻ろうか、保育園に然を迎えに行こうか、
文子に確認しようと思っていたときに、
「入院だって。」と携帯メールが入った。
切迫早産ということで、絶対安静が必要とのこと。
2月下旬が予定日なので、さすがに今、生まれるのは厳しい。
そんなこんなで、然との二人暮らしがスタート。
年末年始は仕事も入ってないしちょうどいい。
仕事がスタートする頃には、保育園もスタートする。
こんなのもなかなか体験できないこと。
せっかくなので両親にサポート養成せず、楽しむことにする。
赤ちゃんと日中二人だけ暮らしている主婦の模擬体験だ。
昨日、一番困ったのは、外出先でのトイレ。
一人だったら、さくっとどこでもトイレは使える。
それが、まだよちよち歩きの1歳児と一緒だと、なかなかそういうわけにもいかない。
小便器を使うのは、無理。
横に立たせて、足につかまらせようかとも思ったけど、
なんか、はねそう。
それに然の視線が気になる。
大便器。
最近は、子どもを乗せておけるような器具を個室の中に設置しているところもある。
それがない場合はどうしたものか。
ひざの上に抱えてするのか?横に立たせるのか?
いろいろ考えて、その姿を想像したりして、結局は我慢した。
もう一つ困ったこと。
髪を切りに行きたい。
それでなくてもいつもより伸びている。
でも、行けない。
保育園が始まるまで待つとするか…。
何はともあれ、いろいろおもしろいです。
去年に引き続き、今年もまた家族全員そろわずに年越し。
何はともあれ、無病息災が大事。
来年こそは家族全員で年越しできますように。
そこそこよくやった。
でも、まだまだやれる。
もっと結果を残せるはず。
結果を残そう、小さくても。
まあ、今年1年、そこそこはよくやった。
ごくろうさん。