アキラとメグに誘われて、静岡県の公立中学校を訪問。
学校を訪問・見学するときは、私立と公立では意識的に注目する視点を変えている。
私立の学校では、学校運営に。
公立の学校では、子どもと大人の関係に。
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いろいろな問題を抱え、保健室登校をしている生徒がいた。
3人。
以前はもう一人いたそうだ。
その生徒は、あるタイミングで教室に戻った。
教室に戻れた生徒、まだ保健室登校の生徒。
教室に戻れた生徒の担任は、とにかく毎朝、保健室に顔を出し、
生徒に一言声をかけていたらしい。
伊藤守さんも言っていた。
コミュニケーションは内容じゃなくて、「ある」こと自体に価値がある。
子どもが問題なのではなく、その子と関わる大人の問題なのだ。
コメント (5)
かな(例の高校生のカレができた子)がね、「しんちゃんって、かわいいね(は~と)。また連れてきてね。しんちゃんとも話ししたいから(ぴ→す)」(原文ママ)というメールをくれました。
子どもたちは、大人をしっかりと見定めている。
受け入れるか受け入れないか、きっちり見定めた上で関わりを持とうとしている。その点ではものすごくシビア。
しんのすけが受け入れたから子どもらも受け入れたんだな、きっと。
また行こうぜ。
投稿者: アキラ | 2003年12月 6日 23:57
日時: 2003年12月 6日 23:57
そうか、おれってかわいいか、やっぱり。
投稿者: 本城愼之介 | 2003年12月 7日 07:02
日時: 2003年12月 7日 07:02
まさしく・・・。
といっても、「子どもが問題なのではなく、その子と関わる大人の問題なのだ」ってとこ。
ふふふ。
投稿者: はまちん | 2003年12月 7日 09:52
日時: 2003年12月 7日 09:52
うーん、そうだね。ある種の問題を抱えている子どもは、保護者も学校に呼ぶけど、その保護者と対峙すると、やっぱりある種の問題を抱えてる。
親は選ぶことができないけど、せめてそれ以外で関わる第二の親ともなるべき大人は、選ばせてあげたいなぁ、という気がします。
投稿者: めぐ | 2003年12月 7日 11:30
日時: 2003年12月 7日 11:30
コミュニケーションはあることに価値がある、というのはそうだね。「ない人」けっこう多いもの。特に日本人には、身近な人(親、子、妻、恋人)ほど甘えてしまって「言わなくても分かる」的な人がいると思う。
でね、私が「あることは価値がある」というのを前提に、コミュニケーションの「質」が最近気になるんだよね。
投稿者: 志乃 | 2003年12月 8日 05:06
日時: 2003年12月 8日 05:06