« 2003年8月 | メイン | 2003年10月 »
実家からサンマが届いた。
やっぱりでかい、うまい。
肝が臭くない。
お礼の電話をかけた。
次はトウモロコシとジャガイモを送ってくれるそうだ。
そして、その次はイクラと鮭。
秋だ。
近江さんからは鰍を取り寄せる。
鰍を食べるのなんて久々だ。
その後は、シシャモだな。
父と少し電話で会話。
元気らしい。
議会でちゃんと発言してんのか?
孫の心配ばかりしてないで、自分の町の心配しろ。
母とも会話。
おそらく寝ていたのだろう。
声が寝ている。
弟が痩せたらしい。胃潰瘍。
父の跡をついでの慣れない社長業。
遺伝で胃液が多いしなあ。
でも、オレは胃潰瘍になんかはならなかったぞ。
もしくは、そんなに大きなプレッシャーなんて受けたことないだけかな。
弟は優しい奴なので、胃潰瘍になるのもわからないでもない。
そんな彼も、年末には父親だ。
一昨年には考えられないこと。
僕が結婚して子どもがいて、
弟も結婚して子どもがもうすぐ生まれそうで、
父が議員をやっている。
いつだってそうだったが本城家の男は好き勝手にやっている。
その中でも、僕が一番好き勝手にさせてもらっている。
そういう役回りだから、いいのだ。
父の葬式は、僕が仕切るわけだが、ちゃんと葬式の時の曲は決めてある。
父が大学時代に大好きだったサッチモ、 Louis Armstrong の曲、
「What a wonderful world」で送ってあげよう。
気の早い話だろうけどさ。
秋は北海道の季節だ。
朝は J-WAVE を聴いていることが多い。家でも車でも。
そういう習慣がついてから J-WAVE の朝の時間帯は、
ジョン・カビラさんの「GOOD MORNING TOKYO」だ。
今週から2週間、ジョン・カビラさんは夏休みということで、
Sascha がピンチヒッターで DJ を担当している。
違和感がある。
「慣れかなあ」と思っていたが、そうではないようだ。
トーンだ。
ジョン・カビラは声のトーンが低い。
Sascha は声のトーンが高い。
2人の声のトーンにはかなり差がある。
DJ TARO、ロバート・ハリス も声のトーンが高い。
クリス・ペプラーは低い。
やっぱり声のトーンが高いと、声が後に流れてしまう。
声のトーンが低いと、声がお腹に残る。
僕もどちらかと声のトーンが高いほう。
人前で話す時には、意識して声のトーンを低くしているが、
それでもまだ高いんだろうなあ。
もっともっと意識しなきゃだめだ。
新しい考え方でもなんでもないけど、
担任をする教員と、教科を教える教員を職種として分ける。
それぞれのスペシャリストになってもらう。
そういう教員の採用、研修を行う。
担任教員は「クラス」のマネジメントのスペシャリスト。
教科教員は「授業」のスペシャリスト。
2つに求められるスキルやマインドは違う。
それを1人の教員にやらせようというのが無理。
企業でスーパーエンジニアで且つスーパーマネージャーの人が何人いる?
担任教員は、クラスの授業のすべてをじっと後で見守る。
それぞれの児童生徒が、どの教科でどういう発言、行動をしているか見守る。
そしてそれを「クラス」のマネジメントに反映し、そこから児童生徒への刺激の
仕方について考える。
教科教員は、どうやって教えれば、もしくは学習させれば「科目」の理解度が高まるか
を徹底的に考え、実践する。
これをすれば人員コストはかかる。
でも下げる方法は必ずある。
これを実現するのは難しい。
難しいことは百も承知。
でも、やらないといけない。
実現できる方法は絶対にある。
自分が思っていること、感じていることを、ただそのまま伝える。
僕を知ってもらうことからすべてがスタートする。
ネゴシエーションはせずにコミュニケーションする。
キャッチボールする。
相手が取りやすいボールではなく、まずは投げたいボールを投げる。
受け入れてもらうのではなく、染み入る、溶け入る感じ。
緊張感を持った自然体で。
いつもの感じで、そのままの調子でOKです。
大学時代に楠田育英会の奨学金に1年間お世話になっていた。
給付で月額3万円とか4万円だったと思う。
とにかく高額だった。
「社会貢献活動をしている学生」というのが条件だった。
それなりにしていたのでそれを書類でアピールしたら、
受かってしまったのだった。
でも当時、それが頂いていた奨学金の金額に見合う活動だったかどうかは、
ちょっと自信がない。
卒業してすっかりその奨学金のことも忘れていたら、
数日前に「奨学生の同窓会をやります」の案内が来た。
1泊2日だがもちろん参加。
いろいろな先輩や後輩に会いたいなあ、と思っていた。
事務局の人とメールのやりとりをしたら驚きの事実発覚。
僕はその奨学生の一期生、通し番号は3番。
今の現役生の最後は167番。
先輩はいなくて、後輩ばっかりだった。
また別の楽しみができた。
千葉県船橋市の「健伸幼稚園」へ行った。
この幼稚園は、平成15、16年度の「チーム保育」の国の研究指定校でもある。
園児数650人。大規模。
この幼稚園を会場に、渡部亜希子さんが奮闘している「スマイルプロジェクト」の「サマーフェスタ2003」が開催されるということで、家族3人で遊びに来たわけだ。
そして曽野先生にも会うために。
とにかく楽しそうな学び舎の幼稚園だった。
建物、園庭、池、色、緑、椅子、丘。
トーンが明るい、そして雑然としている。
わくわくする感じ。
理事長とお話をした。
「普段は、平らなグランドなんていらないんですよ。
運動会はどっか他を借りてやればいいんです。
だからこの夏休みに、グランドの真ん中に小山をつくったんです。
そしたら今日のイベントがあるから、あわてて両端に小山を寄せたんですよ。」
その両端に寄せられた小山は、みごとにステージとワークショップの舞台になっていた。
ステージには、和太鼓と鳴り物で演奏。
ワークショップでは、万華鏡をつくっていた。
この幼稚園、とにかく「小さな丘」が多い。
それがステージになっていたり、椅子になっていたり、
隠れ家になっていたり、目印になっていたり。
とにかく楽しそうな幼稚園なのだ。
そしてイベントも本格的。
「子供だまし」が一切ない。驚いた。
それもそのはず、理事長の前職は大手広告代理店。
学び舎は楽しくなきゃならない。
大人が管理しやすい学び舎であってはならない。
子どもが楽しめる学び舎じゃなきゃ。
初めて大前研一さんの著書を読んだ。
今まで、なんとなく抵抗感があって、
大前研一さんの本は、極力手にしてこなかった。
それを買って読んでみたのは、
曽野先生に薦められたのが大きな理由。
1995年4月の東京都知事選挙、1995年7月の参議院選挙。
この2つの選挙の敗戦記だ。
都知事選は、
青島幸男 170万票
石原信雄 123万票
岩国哲人 82万票
大前研一 42万票
黒木三郎 28万票
上田哲 16万票
参議院選は、50万票、得票率1,25%、議席ゼロ。
どちらも完敗。
そうそう、そんなこともあったなあ、平成維新の会なんてのもあったなあ
程度に覚えているくらいなので、かなり遅れたタイミングで読んだわけだ。
初版が1995年11月。
いろいろ書いているわけだが、一番印象的なのは、
それまで他の人の選挙の応援演説はすべて断っていたのに、
大前研一さんの都知事選の応援演説を2度もしたある人物の言葉。
「俺は選挙中、お前には何も言わなかった。あんなに一生懸命やっているのを見ると何も言えなかった。だけどね、あんた滑稽だよ。」
「あんたの政策は素晴らしい。僕なんかが聞くとその通りだと思う。でも、あんたはまったく『底辺』の人々の心に触れていない。おまえさんの言うことはやっぱり『底辺』が唸るもんじゃねえ。ごく一部の知識人がなるほどと思うだけだ。僕は吉本興業にも、どこのプロダクションにも属してこなかった。それで35年間歌を歌って食べてきた。その意味では、大衆が何を考えているのか、自分が掴まなかったら、すぐに客がこなくなる。だから、あんたより大衆が考えていることには敏感だ。」 「あんたがなぜ滑稽なのかというとね、全部1人でやろうとしているからだ。明治維新を見なよ。このまま行ったら日本は欧米列強の植民地になる、大変なことになるという共通認識があった。その危機感が皆にあって、皆がそれぞれの思いで、尊皇だ、いや攘夷だ、いや開国だと百家争鳴した。百家争鳴したけれど、そういう意見の違いを乗り越えて、このままいったら日本は植民地になるという危機意識をバネに、力をあわせてやりとげた。それを後の人が『明治維新』と呼んだだけだ。それと比較すると、大前さんは、全部自分で分析して、全部自分で答えを持ってて、何聞いてもわかってて、そして1人で興ってもいないのに、『平成維新』と言って、『平成維新です。みんなやりましょう』とやっている。それじゃあピエロだ。」 「『平成維新』なんて言葉はやめちまえ。基本的にはね、もっといい国作ろうと。日本というのはこんなもんじゃねえはずだと。我慢できないぞと、こういう言葉で言えば、一般の底辺の人にもわかりやすい。今の日本、家庭をもっと大切にしよう。もっといい国作ろう。それで、その結果として、皆が集まってきてやったものが、後の人が『あれは平成維新だったな』と言ってくれるんじゃない。一回呼びかけかた変えて、『平成維新』だなんだって答えがわかっているようなことを言うのをやめなよ」 |
この人物、この言葉、加山雄三さんです。
あのビル・ジョイがサンを退社する。
次はどこでどんな自己実現をするんだろう。
あそこまでいっちゃうと所属している組織なんて関係なく、
どこでも自己実現しちゃうんだろうか。
いや、きっとそんなことはないだろう。
組織に所属しないとしても、関わりの多い人たちの影響は少なからず受けるだろうし、
そこから自己実現がきっと生まれるだろうし。
48歳かあ。
若いのか、そうじゃないのか。
快晴の夜だ。
7月から「お月様プロジェクト」に参加している。
100日間にわたって、自分自身の生活についての記録をとっていく。
100日後に、その時の「月」と「私」の関係がどうだったかを振り返る、
というプロジェクトなんだと思う。
今はただ単に毎日Webに定められたフォーマットに従い記録をしている。
100日後に結果がシェアされる。
ほとんど毎日「絶好調」な記録が続いている僕のデータは、いったい参考になるんだろうか。
だって、「絶好調」じゃなくても「絶好調」と記録したほうが気分がいいじゃん。
だから毎日、絶好調なのだ。
月なんかに影響されてたまるか。
快晴の夜の空を「群青色の無限」と表現した歌姫ダイアナ。
彼女は、今どこで何をやってるんだろうか?
まだどこかで歌ってるんだろうか。
初めて木曜倶楽部に参加。
いろいろな出会いで生まれた勉強会というのが正しい表現なのだろうか。
言葉を噛み締めながら、一言一言を大事にして話す人が1人いた。
そういう話し方の人には、最近出会ってなかったので、
とても新鮮な印象を受けた。
もしかすると、ああいうのを、まどろっこしいと感じる人もいるかもしれないけども、
なんとなく僕は、すうっと人を引き込む魅力を感じた。
その人と話すと自然と、言葉を1つ1つ慎重に選んで表現している自分に気がついた。
楽天市場の出店者さんが大集合する楽天EXPO2003で「スタッフのやる気を高めるモチベーションマネジメントセミナー」の講座を担当。
創業以来お世話になっている懐かしい出店者さんの顔もちらほら見えて、
ずっとご支援してくださっていることにあらためて感謝。
僕が担当したセミナーには、伊勢志摩新鮮市場の伊藤さんや、日本銘醸会地酒屋の石井さんなど50名強の出店者さんが参加してくれた。
今回のモチベーションマネジメントは、ヒデヒコの「絶対、離さないから!」の一言をベースに考えを膨らませた。
一通りセミナーが終わって、何人かの店長さんと名刺交換をし、会場にも人が2,3人になった時、1人の女性店長さんが名刺交換に来てくれた。
「いつも雑記を読んでます。」
「え、なんで知ってるの?!」と驚いたのが半分。
「え、読んでくれてるんだ」のうれしいのが半分。
でも、うれしいのがやっぱり大きい。
「学校をつくるという発想に刺激されました。」
これ最高にうれしいメッセージです。
そう世の中できないものなんてないのだ。
だって、誰かできてるんだから。
声かけてくれてありがとうございました>Y.Y.さん
楽天EXPO2003の大阪会場は、米倉誠一郎教授の基調講演。
いつもパワフル米倉先生。
最後の一言、最高に刺激的だった。
「知ってる?0.9 をずっとかけていくとほとんど0になっちゃうんだよ。」
当たり前のことなんだけど、そうなんだよな。
0に近くなっちゃうんだよな。
0.9 を 10回掛け算すると 0.349
0.9 を 20回掛け算すると 0.122
0.9 を 30回掛け算すると 0.042
0.9 を 40回掛け算すると 0.015
0.9 を 50回掛け算すると 0.005
0.9 を 60回掛け算すると 0.002
0.9 を 70回掛け算すると 0.001
あー、もう0に近くなっている。
毎日のちょっとした手抜きの積み重ね。
70日間続けると、ほとんど0。
1.1をかけてみる。
1.1 を 10回掛け算すると 3
1.1 を 20回掛け算すると 7
1.1 を 30回掛け算すると 17
1.1 を 40回掛け算すると 45
1.1 を 50回掛け算すると 117
1.1 を 60回掛け算すると 304
1.1 を 70回掛け算すると 790
結果の差なんて、ちょっとしたふんばり次第なんだよね。
「継続は力なり」の数値化だ。
母校、函館ラ・サール高校29期生同窓会を函館で開催。
40名弱の同級生が集まった。
久々の友達に会えて最高。
2年生の時に同じ部屋だった東出と13年ぶりに再会できたのは、
本当にうれしかった。
なんか卒業の時に、ちゃんとさようならをできなかった感じだったから、
なおさらうれしかった。
寮の友達は一生の友達だ。
山岡、古川も誘って、4人で会おうぜ>東出
白川、西村、坂本も4人で会おうぜ。
函館からとんぼ返りして、楠田育英会10周年記念行事に参加。
これまで167名の奨学生を支援している。
僕は、平成5年度に支援を受けていた。
奨学生の1人の栗山さんの話を聞く。
栗山さんはホスピス医。
演劇にはまって大学を中退。31歳の時に一念発起して医大に再入学。
消化器外科の医局に入局した後、ホスピス医として働いている。
やわらかな声、豊かな表情。とても魅力的な女性。
こんなお話だった。
人間の死亡率は100%。
絶対に、かならず、死ぬ。
生きることは1人の問題ではないのと同じように、
死ぬことも1人の問題ではない。
突然死を望む人も多いが、それでは周りの人があまりにも辛い。
どんな死に方をしたいかを考えることで、
どんな生き方を今しているかのチェックができる。
どんな生き方をするべきか見えてくる。
ホスピス医は何も治さない。
だから、「あんなのは医者じゃない」のように言う人もいる。
でも、そうじゃない。
「自分らしく生きるため」にホスピス医は、必要とされている。
最後の最後まで、自分らしく生きるために医者は必要。
話を聞いていて、眼の裏側がツーンとしてきた。
死ぬ準備もしておこう。
ももとあきらとめぐが家に遊びに来て、
遅い昼飯、早い夜飯。
先週は怒涛のような一週間で、家でご飯を食べる機会が本当になく、
久々に家でゆっくりご飯を食べた。
やっぱり家で食べるのが一番。
・鯛のサラダ
・蒸し茄子ゴマソース
・海老と貝、白身魚の紹興酒蒸し
・鶏と鴨のロースト(?)春巻きの皮揚げ添え
・じゃこ飯
・ケーキ
・バウムクーヘン
・ビール4缶、シャンパン2本、ポートワイン2/3本
文子とあきらとめぐは、酒をほとんど飲まないから、
結局、俺とももの2人で飲んだようなもんだから、
けっこう飲んだなあ。
ももがぶっ倒れているのもわかる気がする。
似たような分野にかかわりつつも、
アプローチが違う人との会話は刺激になる。
自分だったらその時、どう判断し、行動するかな、と思考実験。
それにしてもポートワインを全部飲んでしまったのか…。
新しいのを手に入れよう。
11時からの半蔵門での打ち合わせ。
車を運転して行った。
そのオフィスの近辺に駐車場くらいあるよなあ、と思っていたら、ない!
駐車場はあっても埋まっている。そうこうしているうちに11時が過ぎた。
そして、ガソリンがなくなってきた。「あと○km走れます」の表示が消えて、
「Low Fuel」とか表示が出た。
遅刻してるし、駐車場ないし、おまけにガス欠寸前。
焦った。
そしてこの間の土日の出来事。
あわてて家を出て、羽田空港へ。函館行きの飛行機に乗る。
携帯電話を忘れた。
日曜日の13時からだった育英会の同窓会の案内を忘れた。
土曜日は携帯電話がなくてもなんとかなった。
危機は日曜日。
函館から羽田空港についた。
さて、たしか代々木のオリンピックセンターで13時からの同窓会だったはず、
という曖昧な記憶をたよりに代々木へ。
オリンピックセンターの受付。
「楠田育英会の集まりに来たんですけど…」
「はい、17時から予約されています。」
「いえ、12時からのスタートだと思いますが。」
「いいえ、17時からしか予約されていません。」
えー、なんでだよ、そんなことないよ。
家に電話をして、忘れてきた案内を見てもらおう。
携帯電話がない。
やばい。
小銭をつくって公衆電話。
自宅にかけるが誰もでない。
文子の携帯電話…、わからない。
だっていつも携帯電話からかけるから覚えていない…。
打つ手なし。
でも携帯電話のメールアドレスを覚えていたので、
PDAからメールを打つ。「緊急、連絡ほしい」
30分くらいたってから連絡がつく。
その時には、僕はあきらめて、一度自宅に戻ろう、案内と携帯電話を
取りに家に帰ろうと決めて車を走らせていた。
「その時に、家にいるから連絡ください」という文子からの連絡。
「よし!」と思うも、今度は公衆電話が見つからない…。
何はともあれ最終的には1時間遅れたが同窓会には参加できた。
---- ---- -
準備は大切。
とにかく準備でほとんど決まる。
すべてやろうとするのではなく、何をあきらめるのか、何をあきらめないのかを
はっきりさせること大事。
明日のアポの準備は万端か?
プロフィールを提出しないといけないことがある。
講演会やセミナーやら、その他の場合も必要だったりする。
これがうまく書けない。
使いまわしているやつもあるが気に入らない。
どうも何を伝えたいのかのポイントが見えない。
プロフィールは重要ということは百も承知なんだけど、
完成させようという意欲がわかない。
だって、過去にやったことで先入観を持たれたり判断されるのって、
なんか違和感を感じる?
やっぱり「これから」で勝負だし、共有できる時間や空間は、
「これから」のものしかない。
過去の時間や空間はどう考えても共有できっこないのだ。
だからこれからのプロフィールを書こう。
プロフィールに書かれている年代がすべて未来だったらおもしろいかな。
2004年2月 第二子誕生。
2004年5月 著書「○○○○○○」を出版。
2009年4月 ○○○学校設立、開校。
...
2072年5月 誕生日に100歳で死ぬ。
こんなのダメですか?
高校の同窓会があり、奨学生の同窓会があった。
二つともたいしたイベントはなかった。
はっきり言って、「ただ集まっただけ」だ。
集まって、話して、飯食って、酒飲んで。
どちらも最高に楽しかった。
それで十分なんだな。
そこに昔の友達がいればそれでOK。
高校の同窓会なんて、高校のときに一言も話したことないどころか、
顔も見たことのないような人とも、
なんか話しができて、楽しく時間が過ごせた。
なーんにもないけど、誰かが来るから行く。
そういう魅力がやっぱりないとなあ。
大学の同窓会には2000人集めようでスタートした。
でも、このアプローチがそもそも間違いだったのかな。
それが楽しく感じない一番の原因か。
だったらぜーんぶの企画をやめちゃって、
ただ集まっているだけにしたらどうなるだろう。
きっと人数集まらんだろうなあ。
でも、来る人は来る。
そしたら、それでまた楽しい。
それじゃあ、だめかねえ。
そろそろ思い切った転換が必要じゃないか?
楽天EXPO2003東京会場で、元ラグビー日本代表チーム監督、神戸製鋼ラグビー部・ゼネラルマネジャーの平尾誠二さんの講演を聴く。
平尾さんの著書は、おそらくほとんど全部読んでいる。
講演は初めて。
すごくいろいろなヒントがあった。
印象になったことのメモ。
■監督が選手と同じユニフォームを着ているスポーツは野球くらいしかない。
■チームワークとチームプレーは違う。
■チームプレーのスポーツで、監督が指示をして、それで選手が考えて、行動できるスポーツも野球くらい。それくらい、ゆるやかなスピードで野球は進んでいる。
■サッカーやラグビーは、監督が指示なんてしても、プレーはすでにその時には終わっている。フィールドの横でサッカーの監督が大声で叫んだって、選手には伝わっているわけがない。
■スピーディーなスポーツでは、選手が自ら判断し行動しなくちゃ勝てない。今の世の中、ビジネスもスピーディーだよね。
■いわゆるゴール型競技(サッカー、ラグビー、ホッケー、バスケット、ハンドボールなど)は、日本は弱い。選手がプレーの最中に自分で判断し行動することが苦手、慣れていない。
■できないことをできるようにするには、コーチング。できることをサボっているときには、怒る、叱る。
無責任、身勝手、無謀、無茶、嫌われるということを自覚して行う言動が時々ある。
でもその言動は絶対に必要なんだと自分では信じて疑っていない。
対立することを恐れていては、何もできないし、何も生まれない。
対立を避けるのはズルイ。
だからワガママと言われようが、
対立が絶対に必要だと思ったらする。
ただ、不毛な対立はアホのすること。
落としどころは決めておくこと。
父親がよく小学校の頃に言って聞かせてくれた。
「喧嘩をはじめたときには、どう喧嘩を終わらせるか考えてやれ。」
---- ----
対立がうまれたときに時々聞く決め台詞がある。
「オレが責任を取る!だからお前の意見は認めない。」
いったいこういう発言をする人は、どう責任を取るつもりなんだろう。
「責任をとる」という発言自体が、無茶苦茶無責任。
こういうアホチンには「どう責任を取るんですか?」と質問してあげよう。
そこで「オレのクビをかける」とか「辞める」というようなこれまた馬鹿野郎がいたら、
そいつと一緒に仕事をするのはやめましょう。
そういう発言するのはリーダーとして本当に失格だと思う。
どうやったって責任なんてとれっこない。
いや唯一あるとするならば、複数人乗りのタイムマシーンを開発してもらって、
事が起こる前に関わった人をすべて戻してもらえれば、いいかな。
それもダメ?
絶対に軽々しく「責任はオレが取る」なんてことは絶対に言っちゃだめなのだ。
しっかりとまとめてテレビを見たのは数ヶ月ぶり。
旅館で食事をし、うまい酒を飲み、いい気分になったので
横になりながら、バラエティー番組を数本眺めた。
アド街っく天国は、「甲子園」だった。
ナイナイの岡村と矢部を久々に見た。矢部、痩せたなあ。
わからないタレントもたくさん登場した。
若手の漫才師がたくさん出ていた。なんという番組かは知らない。
おもしろいんだか、おもしろくないんだかよくわからないけど、
きっとこれにたくさんの時間を昔は費やしていたんだな。
気になって足を止めた。
撮影日:2003年9月18日午前11時頃
朝、六本木ヒルズ森タワー49F に行ったら、
いつかどこかで見かけた人がいた。
お互いの目があって3秒。
自然と近寄り、握手。
去年の12月、3日間のコミュニケーションワークショップで一緒だった人だ。
最終日は雪が降っていた。
その人とは、手だけで様々な感情を伝えるというアクティビティをした。
はっきりとその時間のことは覚えている。
あの時しか会えないと思っていた人とまた再会。
---- ---- --
つい先日、目白駅の裏の小さな古いビルの 2F に
スタートアップの会社を訪問した。
懇意にしている人から「相談にのってあげてくれ」とお願いされ、
午前中のうちに訪問。
変わった名前のビルだった。
夜、麻布に立派な事務所を構えるNGOを訪問。
ある財団法人からの委託研究で「国際NGOの活性化」をテーマにディスカッション。
その日は小さなNGOの実態を知りたいということで、パレスチナ問題を扱っている
NGOの事務局長に来て頂いていた。
名刺交換をしてびっくり。
僕がその日の午前中に訪問した、目白駅の裏の変わった名前の小さな古いビルの
3F にそのNGOの事務所はあった。
---- ---- --
こういう偶然は、実はよくある。
珍しいことではない。
そしてそのたびに、驚いたり、喜んだり、大声をあげてみたりする。
でも、冷静に考えると、そういうことが起こっても全然不思議ではない。
そういう確率を高めることはできる。
とにかく気の向くまま、好奇心のおもむくままに、
いろいろやったり動いたりしてみたらいいのだ。
そしたら確率は絶対に高まる。
一箇所にいて、同じ連中と顔をあわせていても確率なんて高まるわけがない。
文子の会社の同僚が家に遊びに来た。
たこ焼きパーティー。
ビンゴの景品でたこ焼き機(?)をもらった人がいたからというわかりやすいきっ
かけ。
鍋奉行の僕としては、やっぱりたこ焼きを焼かないと気持ちがおさまらない。
初のたこ焼き体験。
1回目、途中まではいい感じで進んだものの、やっぱり後半で失敗。
外がしっかり焼けず、きれいに丸く焼けない。
反省。
2回目。オリーブオイルを塗り、一度ふき取り、その後に再度オリーブオイルを
それぞれの穴(?)に2、3滴ずつたらす。
その後に、たこ焼きのネタを1つ1つその穴に満たしていく。
溢れないか溢れるかのギリギリのところでまで入れる。
すぐにタコを入れずに、ちょっと様子を見る。
周りが焼けたかな、というくらいに、一回、くるっと半分だけひっくり返す。
そしてまた少したったらもう一回くるっと回す。
まあ、成功。
一番の改善のポイントは、オリーブオイル。
これがブレークスルーだった。
さて、学校教育のオリーブオイルはどこでしょうか。
僕は「教員」だと思ってんだけどね。
venk2003 のセミナー第一回目。
何人くらい参加してくれるかなあと不安は若干あったものの21名の参加者。
大満足。
今回のセミナーのテーマは「コーチング」。
講師はコーチ21の辰野さんと原田さんにお願いした。
2ヵ月ぶりくらいに会って、どの学生の顔もいい表情してた。
日に焼けたり、髪形変わったり、すこしふっくらしたり、いい目をしていたり、
いい夏休みを過ごしていたことがわかる。
「コーチング」ということで「聞くこと」に意識を強く向いていたことも影響していたのか、
4時間のセミナーの最初と最後では、明らかに学生が変わった点が1つある。
人の話を聞く姿勢、これがすごく相手が話しやすい姿勢になっている。
これには驚いた。
少し意識を向けるだけで、自然といい姿勢になるんだよね。
あとはそれを改めて指摘し、潜在的なものを顕在化するだけでOK。
コーチングが参加した学生の日常に溶け込むとうれしい。
それにしても、再会ってのは、やっぱりいいねえ。
懐かしい面々と六本木で飲み会。
このメンバーと六本木で飲んでいるというのも違和感を相当感じたけど、
でも、なにか意味不明のリラックス感とわくわく感。
実家に帰ってきたような、照れ半分、落ち着き半分。
いずれにせよ、うれしいことには間違いない。
締めの言葉は泣けてくるのでパス。
イマイさん、ありがとう。感謝感謝。
それにしても、あの店、あの場所で23時閉店って普通なんだろうか?
父、母、妹、弟、義妹、義妹の家族の無事の確認はとれました。
心配して連絡くださったみなさん、ありがとうございます。
ふと思ったことだけど、
最近あまりカラダにやさしいことをしていないなあ。
もっと使ってあげないと、このカラダは錆びてしまいます。
おそらく今やっているいろいろなことは「点」だ。
ぽつ、ぽつ、ぽつと少しずつ離れたところに散らばっている。
それはそれでよいのだ。
なんとなく、おぼろげながらその点がつながりつつある気がしてきた。
見えてきそうないい感じだ。
面になるのも時間の問題。
講演で僕自身がいつも言っているように、
点でいいのだ。それを線にし、面、層、立体とつなげていけば。
最初はすべて点でよし。立体を最初から求めない。