福田さんの家と町村さんの家
家から保育園へ行くには2つのルートがある。
距離も所要時間もほとんどかわらない。
1つ目のルートでは、福田さんの家の前を通る。
2つ目のルートでは、町村さんの家の前を通る。
最近、それぞれの家の前には警護の人が張り付くようになった。
もちろん福田さんの家の前のほうが、警護の数も多い。
二つの家は、たぶん100mから200mくらいしか離れていない。
ご近所だ。
うまくやってほしいものです。
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家から保育園へ行くには2つのルートがある。
距離も所要時間もほとんどかわらない。
1つ目のルートでは、福田さんの家の前を通る。
2つ目のルートでは、町村さんの家の前を通る。
最近、それぞれの家の前には警護の人が張り付くようになった。
もちろん福田さんの家の前のほうが、警護の数も多い。
二つの家は、たぶん100mから200mくらいしか離れていない。
ご近所だ。
うまくやってほしいものです。
この9月で30歳になったので会社を辞めました、というF君と昼飯。
新しいスタートを切るとのこと。
30歳になったから新しいスタートを切る。
5年前の僕も、そう言ってました。
自然とかつての自分の姿をぼんやりと重ねながら会話。
うん。
やっぱり、30歳の人に「学校つくります。」と言われても、「は?」って感じするな。
それを平気で言いまくってたんだからなぁ。
でも、言いまくることが大事なんだな。
先日、紹介者として、他人の営業を傍らで観察する機会があった。
とにかく僕は黙って座っているだけ。
正直、自社商品についての説明も上手ではなく、相手に何を期待しているかも不明瞭。
・見てすぐわかるものは、見ておもしろいと思うものは強い。その反面、見る側には深く見よう、知ろうとする気持ちが必要。そうでないと、見てくれに騙される。
・見せればいいものは、さっさと見せる。
・「これから何をしようとしているか」ということより、どのような原理で動くのか、どのような仕組みなのかに興味がある人もいる。
・当たり前だけど、わかりにくいものをわかりやすく説明するトレーニングは必要。
・自社商品の説明をする際、他社や環境の批評・批判を繰り返すのは聞き苦しい。
・マーケットの現状と将来展望ではなく、将来実現したい社会像を伝える。
思えば、仕事の学校、仕事体験もわかりにくい。
改善・工夫・練習が必要です。
家族5人、同じ部屋で、いろいろな方向を向いて寝ている。
ほとんど定位置というものがない。
まさに雑魚寝。
12月に赤ちゃん(今回はモモという胎児ネーム)が生まれたら、どうするんだろうと少し心配。
昨日はアヤが2段ベッドの上に寝た。
朝起きたら、「生まれたら私と赤ちゃんがここに寝るのがいいかも」と言ってた。
落ちないのかな…。
毎晩、アヤか二人で、時々僕だけで子ども3人を寝かせつける。
当然のようにだいたいは、子どもたちと一緒に眠ってしまう。
我が家は20時にはベッドへ、遅くとも21時には眠りにつかせるようにしているので、
大人もそのペースで寝てしまうと、ちょっとヤバい。
そんなわけで昨晩は、モユを呼び出し、
「あのさ、子どもたち二人、モユが寝かせつけてくれない。頼むよ。」と耳元でお願いしてみた。
「うん、わかった。やってみるよ。」と心強い返事。
ポイントは、「子どもたち二人」というセリフ。お姉ちゃんの自尊心をくすぐる言葉だ。
寝室を出て、ドアの前で新聞を読んでいると、モユがコタとカンタに読み聞かせをしている声が聞こえる。
時々、三人が代わる代わる
「オシッコ」「お水飲みたい」「ナニシテンノ?」と寝室から出ては、ニヤッと笑う。
まあ、それでも21時には静かになり、三人とも無事眠りにつきました。
今年度、5歳、4歳、2歳になる三人組としては上出来です。
これが習慣化してくれるといいのだけどなあ。
今日は僕が帰りが遅いので、電話でモユに依頼。
「あのさ、今日もよろしく頼むよ。子どもたち2人を寝かせてやってね。」
「うん、わかった!」
さて、どうなってますか。
所用があり文京区立誠之小学校のご近所へ。
道々に黄色いジャンバーをきたPTAの方が立っているので、何か行事かな?と思っていたら「大運動会」を開催していた。
この小学校の名前は、聞いたことがなかった。
のぞくとグランドに大きな木が生えている。
児童数にしてはグランドが小さいのだろう。
グランドに収まり切らない数の見学者がいる。
2階教室を開放して、そこからも見学している。
重箱を風呂敷に包んで来ている人もいる。いい光景だ。
最近は、運動会のお昼御飯は子どもたちは校内で給食、というところも増えてきている。
家族が見学に来れない子どもへの配慮だ。
門から外へと保護者の方たちが、何かを迎え入れるように列をつくっている。
何かな?と思っていたら、遠くのほうから子どもたちが、どんどん走ってくる。
5kmマラソンとのこと。
PTAはもちろん、ボーイスカウトのユニフォームを着た人などがどうやらボランティアとして活躍しているようだった。
本番だけでなく、練習もしているのだろう。
子どもたちはしっかりと走っている。
このご時世、校外を5kmも走らせるというのは、学校にとしてはけっこう勇気がいることではないか。
「迷った場合の対応は?」
「途中で倒れたら?」
「交通事故にあったらどうするんだ。」
などなどの声が予想される。
そのような中で、こういう行事をやっていることは、それだけで「しっかりとした学校なんだな」ということがわかる。
不動産屋さん曰く、「お子さんをここに入学させたいという方から、この近辺で家を探してくれというリクエストもあるんです。」とのこと。
調べてみると、この学校、歴史は古く、前身は福山藩丸山中屋敷の藩校。
明治23年創設、今年開校132年を迎える伝統校。
児童約800名、教職員70数名という文京区でもっとも大きい小学校とのこと。
いいもの見せてもらいました。
モユとコタロウを連れて秩父宮ラグビー場へ。
小さい頃、父にラグビーをすることを勧められた記憶がある。小学校低学年頃かな。
「ラグビーは、チビはチビ、ノッポはノッポ、ヤセはヤセ、デブはデブで、いろんな活躍ができる。」
というようなことを言われた。
でも、当然のように音別という小さな町に、ラグビーチームなんてあるわけがなく、
結局、当時できたばかりのサッカー少年団に4年生から入部。
そんなこともあり、なんとなく小さい頃からラグビーは観戦し続けている。
小学生の頃、早稲田大学では「本城和彦」という選手が活躍していた。
同じ「本城」という名前だけで、なんか気分がよかった。
といってもルールについて詳しいわけでもなく、選手名をよく知っているわけでもない。
最近は、宇佐見君の影響もあり、会場で見る機会も増えた。
ということで、気が向いたので、モユとコタロウを引き連れ3人で(カンタは鼻水なのでお留守番。)秩父宮で、日体大vs慶應を観戦。モユとコタロウは初の秩父宮だ。
スタジアムには、胸にKのワッペンをつけ紺のブレザーを身にまとった白髪のOBの方々がたくさん。
「よぅ」と声をかけあっている。
開催中のワールドカップのことも話題にでている。
いいつながりだ。
開始前、日体大の校歌、慶應の塾歌が流れる。
久々に塾歌を聞いたけど、いいねー、こういうふうに聞くのは。
思わず口づさみました。
さて試合は、19対19のあと、ロスタイムで約40mのPGを15番が決める。
ヒヤヒヤもんでした。
モユもコタロウも、しっかり楽しんで帰ってきました。
坊主とまではいかないけども、かなり短くなりました。
もちろん僕がバリカンで刈りました。
これでも一応、3段階の短さで刈ってるのです。
刈った後、鏡を見てコタロウは大泣き。
「ボウズハイヤダー!」
シャワーを浴びたらケロッとしてましたが。
それにしても、印象がぐっと変わる。
僕の弟のケイジロウの小さい頃に、なんとなく似ているような気が…。
「壁を壊そうとするのではなく、自分がその間を行き来するほうがいいんじゃな
い?」
朝食を食べならが打ち合わせをしたときに、口にした言葉。
我ながら、しっくりくる。
ある商社の寮を見学させていただく。
入社1年目のNさん曰く、
まず帰ってきたら、カバンを持ってスーツのまま、食堂兼談話室に行くんです。
そこにいる同期や先輩に「ただいま」と言い、食事をしながら、食事をしなくても、
なんかそこに座って、いろいろな話をします。そうすると落ち着くし、気分転換されます。
不思議とまっすぐ部屋には行かないんですね。
この寮は、全室個室。
仕事の疲れを癒すには、個室より食堂でのつながりなんだな。
さて、今日は神戸です。
しばらくの間、月1回か2回のペースで来ることになりそうです。
新大阪と新神戸、新幹線では隣駅。
所要時間は30分しか違いませんが、
やっぱりちょっと遠く感じます。
往復で1時間の違い。
何かをつくる、立ち上げる現場は、やっぱり楽しい。
その熱を感じられるところに身を置くと、こっちも熱を帯びてきます。
保育園のプレイデイ。
いくつかの公園をめぐり、いろいろな遊びをする。
最後に大きめの公園でお昼御飯。
そしてその後に、軽く運動会ちっくなことをする行事です。
モユもコタロウもカンタもよくがんばってましたが、
やっぱり一番感動したのは、コタロウのかけっこ一等賞。
彼は、なぜかスタートから涙目というか泣いていたけど、ゴールした時も泣いてました。
まあ、完全なオヤバカだな。
保護者会の種目(クラス対抗綱引き)の進行をするボク。
盛り上がりました!
メガネが虹デザインです。
白糠町で講演会。
西から順番に、音別町(現 釧路市)→白糠町→釧路市というように位置している。
生まれた時に両親は白糠町に住んでいて、僕は釧路市の病院で生まれ、
その後、釧路市の社宅に引っ越し、6歳からは音別町に引っ越した。
出身は?と質問されると「音別です」と答えているが、実はそんな感じ。
講演会場は、僕が生まれた頃、おそらく1歳検診の結果か何かだと思うのだが、
「健康優良児」というのを当時は表彰していて、その会場となった会館だった。
講演会が始まる前に、控え室で事務局の方と打ち合わせをしていると、
「くもんの先生という方が見えられてますが…」ということで、控え室を出ると、
なんと僕が小学校の頃に通っていた公文式の教室の先生が花束を持って来てくれていた。
当時、音別町には公文式の教室はなく、白糠町まで電車かバスか友達のお母さんの車かで通っていた。それほど長くは続かなかったはず。
「大きくなりましたね」と言われ、さすがに照れる。
もう26年も教室を続けていらしゃって、今度の全国大会で25年の表彰を受けられるとのこと。
驚いたと共に、様々な形で教育に関わることの大切さを教えられました。
性教育がしっかりできる親にならねば、と改めて思った出来事。
家族5人でタクシーに乗っていた。
コタロウは、「オッパイチンチン!オッパイチンチン!」とうれしそうに繰り返す。
これはいつものこと。
僕の隣に座っていたモユ(11月で5歳)が突然、
「あのさ、おちんちんって、ほんとうはペニスって言うんだよね」
「え?!」
さすがの僕も、これにはかなり驚き、すぐには返答できませんでした。
「そ、そうだね。そうとも言うね。ね、なんでこの子、こんなこと知ってるの?」
と思わずアヤに質問。
「このあいだしんちゃんが買ってきた絵本にそういうこと書いてあったみたいだよ」
たしかに、そういう記述がある本だった。
きみのからだが進化論(第1巻)「むかし、わたしはサカナだった」(著者: 黒田弘行 /下谷二助 出版社: 農山漁村文化協会 )
「陸の上で子どもをつくるためのくふう(わたしたちのペニスのはじまり)」という章があり、子どもにわかりやすいように説明してある。いい絵本です。第2巻では膣についても説明してあります。
それにしても、5歳寸前の娘からペニスなんて単語が出てくるとは、思いもよらず、
いつもなら丁寧に言葉の意味を説明してあげる僕も、ちょっと今回は流してしまった。
モユとしては、いわゆる「性」ではなく「生」への興味から得た知識だろうし、
単純な体の機能や名称に興味があるわけなんだが。
性教育がしっかりできる父親になろう。
以下、公文国際学園ホームページより引用
日本文化体験生徒一人ひとりが体験したい日本文化を探し出し、クラスの枠を越えて仲間を募り、企画・立案して学年コンペに臨みます。160案が絞られて6コースが選び出されます。6コースを選び出すのも、事前学習・3泊4日のスケジュール・事後学習、すべてが生徒の手によるものです。この体験のすべてを下級生にプレゼンテーションし、論文を書き上げて、この体験が完成します。
<2006年 日本文化体験のテーマと場所>宮沢賢治と農業(岩手) 比叡山修業体験(京都) 合掌造り(富山)
松阪牛徹底研究(三重) 平和~原爆と大和(広島) 伝統芸能~金箔(富山)<2005年 日本文化体験のテーマと場所>
白神研究(青森) 長崎文化体験(長崎) 漁業(三重)
世界遺産を訪ねて(京都) 姫路城研究(兵庫) 茶道・和菓子体験(京都)
ホームページには硬い感じでテーマが書かれているが、
実際は2006年だと、
・賢ちゃんの世界へ(賢治と農業、岩手)
・牛を訪ねて三千里(松坂牛、三重)
・Let's Travel 合掌造りにズームイン(合掌造り、冨山)
・金沢と金箔(伝統工芸、石川)
・Peace(原爆と特攻、広島)
・そうだ修行へ行こう(修行、京都)
のように中学生らしい感じになっているようだ。
様子が
・http://blog.goo.ne.jp/seib_2005/d/20071017
・http://www.rnc.co.jp/news/index.asp?mode=1&nwnbr=2007101604
で紹介されている。
これ、理想的な修学旅行のあり方ではないだろうか。
修学旅行委員会などを組織し、そこがいくつかのコースをつくり、生徒が選択するというのは聞いたことがあるが、ここまで徹底して生徒が主体的に行っているのは初耳。
聞くところによると、ある先生がこれを提案し、何度も却下された上で、やっと実現したものとのこと。
これを実現するには、いろいろな条件整備が必要だろうが、これぞ本来の修学旅行の姿だろうなあ。
10月18日、仕事の学校の問い合わせアドレスに、1通のメールが届いた。
・青森県の高校3年生
・僕のブログで次世代リーダー養成塾の存在を知り、高1の時に参加。
・お兄さんが函館ラ・サール卒業生で、慶應SFCに在籍中。
・SFCをAOで受験する。志望理由書などを添削してほしい。
ということだ。
会ったことはないが、これも縁ということで19日の早朝にOKのメールを送る。
「本城さんがよろしければ、明日上京することも可能です」との返信。
上京って青森から?と思ったが、結局、彼女は次の日新幹線で上京してきた。
東京は暑かったのだろうか。汗をかきながら、一生懸命に話し、聞く姿が印象に残っている。
その後、メールやら電話でやりとりし、明日の消印で書類を投函。
こういう人が縁を味方にし、運を掴むのだろうなあ。
運は重要。そして、運に偶然はない。
モユ 「お父さんとお母さんがケンカするとねぇ…」
ボク 「え、なになに?」
ぼくの耳元で囁くモユ 「信じられないことが起きるんだよ」
大爆笑でボク 「え、どんなこと?」
モユ 「お父さんが仕事にいかなくなるとか!」
ボク 「えー、仕事にいかなくなって、どうなるの?」
モユ 「んとねぇ、学校の先生に怒られる。」
笑えました。
昨日、コタロウは朝から発熱。
39℃くらいあり、「しんどい、さむい」を連発し、
家の中でジャンバーを着てマフラーをして、毛布に包まって寝ている。
そんな状況でありながら、
「コタねぇ、○○クンにも△△クンにも勝ったんだよー。」と自信満々に繰り返す。
このあいだの保育園の行事で一等賞になったことを思い出しているらしい。
本人にとっては、大きな自信になっている。
よっぽどうれしかったんだろう。
コタロウは2月27日生まれということもあり、クラスの中でも一番生まれが遅い。
クラス全員で撮った写真を見ても、やっぱり小さい。
本人が一番、そのことを自覚しているのかもしれない。
だからこそ、一等賞は彼の自信につながっている。
と言いつつ、ボクが一番うれしがってたりして。