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2004年6月

2004年6月 7日

ここ最近の雑記

29日。
中学2年生から高校3年生まで33人を対象に講座。
終わったあと「高3向けに特別にやってほしい」と生徒に言われ、
急遽、6・7・9月に集中講座を実施することに決定。

30日。
海上保安庁の観閲式に参加。なかなかとれないプラチナチケットを浜川さんが手配してくれた。
どんなことが起こるのか全然わからなかったけど、かなりおもしろかった。
一緒に行ったヤマケン、加賀谷、金子も大喜び。

東京湾の巡視船の上で祖母の訃報が届く。

31日。
実家に帰省。
祖母がずっと使っていた部屋に、祖母は冷たくなって眠っていた。
肌のつやがいい。

僕らが結婚パーティをした町立文化会館で葬儀をするので、会場の準備を手伝いに行く。
足場が組まれ、本格的に作業は進む。

14時くらいから親戚がぞくぞく集まる。

19時からおつとめ。まあ、仮通夜だろう。
父、伯母、叔父、叔母の四人でおつとめしている姿は初めて見る。
お盆、大晦日、お正月によく祖母がやっていたおつとめをした。

3時まで飲む。

1日。
6時にもゆが起きだしたので、一緒に起きる。

玉串をつくるのを手伝ったり、こまごまといろいろあるが、
けっこう暇。
仏教ではないので線香番をする必要もない。

午後の納棺にあわせて、人が集まりだす。
祖母の背中や腕はたくましい。

夕方、町の施設の生活改善センターに行き、町内会の人が用意してくれている晩御飯を食べる。
それにしても生活改善センターってすごい名称だ。

19時からみたまうつし。いわゆる、通夜だ。
ぞくぞくと人がきて入口が渋滞。
正座ではなく椅子だから楽。

みたまうつしが終わった後、会場レイアウトを変更して、みんなで飲む。
久々に会う親戚やら、初めて会う親戚。
にぎやかに盛大に飲む。

従兄弟のカオリが大盛り上がり。ジュンに任せて4時に家に帰る。

2日。
またもや6時起床。
さすがに眠い。

生活改善センターに行き、町内会の人が用意してくれている朝ごはんを食べる。
あまり僕が食べられるものがない…。
納豆も生卵もダメだ。

10時から告別式。
眠い。
一番最前列の家族も眠そう。いや、きっと眠っている。

然がテクテク一人で歩いて、最前列の家族の膝を叩く。
起こしているんだろうか。
それにしても、人見知りしない子でよかった。

然が騒ぎ出す。
そして、僕の右手の親指をガブーッツっと思いっきり、そしてじっくり噛んだ。
怒れないし、声も上げられない。
黙って耐えた。耐えていたら噛むのをやめてくれた。

痛かったので、然を抱いて席を立つ。
立って気分転換しているうちに、然が腕の中で眠った。

告別式も無事終了。

11時からの出棺の予定は12時近くになった。
お棺の中を花で一杯にして最後のお見送り。

バスに乗り、火葬場へ。
最後の玉串を捧げ、お棺は巨大ストーブの中へ消える。

14時には焼きあがると言う。焼きあがったら電話で連絡をくれるらしいl。

そうか、焼きあがるのか。

バスに乗り、生活改善センターに戻り、これまた町内会の人が用意してくれた昼ごはんを食べる。
さすがに腹が減ってモリモリ食べた。
然も煮物をすごいペースと量で食べた。

焼きあがるのを各自思い思いの方法で待つ。

音別についてからずっと天気が最高にいい。
気持ちがいい日が続く。
散歩ばかりしている気がする。

連絡が入り、みんなでバスに乗り火葬場へ。

祖母の骨を拾う。立派な骨だ。

またバスへ。

15時から忌中引。

そしてすべての儀式が終了。

急に天気が悪くなり、雷が鳴る。雨が降り出す。
「こんな天気の葬式は初めてだな。」と親戚のおじさんが言った。

天気がよかった葬式のことなのか、雨が降ったことなのか、晴れが雨に変わったことなのか、何を指しているのかはわからないけど、僕にとっては「いい天気」の葬式だった。

さて、一気に撤収。

家に戻ってきたのは16時30分頃か。

寿司の出前を注文したが時間がかかりそう。
とりあえずあるものをツマミに飲む。
が、みんな車で帰るのであまり飲まない。
疲れもあるんだろう。

最後に残ったのは家族だけ。
僕もビールだけを4、5本にとどめておいた。

眠い。

久々にゆっくり眠る。

3日。
またもやいい天気。
昨日までのにぎやかさは、雷と一緒にどっかに行ってしまったようだ。
本当にさわやかな北海道の6月。
家族で朝飯を食べ、ゆっくりと過ごす。

昼ごはんに軽くうどんを食べ、父と二人で墓地に行く。
音別町の墓地は新しいところと古いところの2箇所ある。
本城家の墓は古いほうにあった。
だいぶん前になくなった祖父は海が好きだったらしく、
海が見えるところが販売されるまで、父は新しい墓地を買うのを待っていたらしい。
このあいだ、海と音別町が一望できる区画に空きが出たということで、そこを買った。
そこを二人で見にいく。

墓地の手前には桜が満開で、ソメイヨシノのようなそうじゃないような桜だった。

音別はここ数年、少し大きめの地震にあっていてその度に墓地は大きな被害にあっているらしい。本城家の墓は、これから新調されるわけだが、低いものにするらしい。

先祖代々と今回亡くなった祖母がそこのお墓には入る。
そのうち父も母も入るだろうし、僕も弟も入るだろう。
妹は結婚すれば別な土地の墓に入るんだろうか。
海も見えるし、音別町も一望できる。いい場所だ。

14時30分釧路空港発のフライトに乗り、羽田に戻る。

そしてまた13日は従兄弟の隆浩の結婚式で北見に行く。
天気がいいと最高だろうな。

東京の自宅に戻ったら一気に眠くなり、夕食を軽く食べてそのまま寝る。

4日。
大阪へ。
まだ疲れが抜け切らないが、たまりにたまったメールの返信を新幹線の中で書く。
楽天の大阪支社にちょこっと顔を出し、そのまま芦屋へ。
打合せをし、芦屋から梅田へ。
梅田で簡単な、だけども非常に重要な打合せを終え、
そのままその方たちと食事。
新しい仲間と意見交換できるのは楽しい。

そのまま大阪泊。
いろいろ頭の中でぐるぐる考えて、ほとんど眠れず。

5日。
2000人規模の全社員会議というのにオブザーバーとして参加。
熱気と真剣さに驚く。
この雰囲気を作り出すには、相当の意識共有に時間とお金をかけたはず。
ランチにAさんと打ち合わせ。

午後、田坂広志さんの講演に参加。
今取り組んでいることに確信を持って進める。
夜は場所を移してAさんや田坂さんを中心に食事。
この店はこれからも何度も来ることになるんだろうな。

ホテルに戻り、家に電話を入れ、風呂にも入らず眠る。
ただ、頭が冴えてぜんぜん熟睡できず。

6日。
再び芦屋へ。
駅前のミスタードーナツで朝飯。
10時にH1さんと待ち合わせ。
その後、11時にH2さんと待ち合わせ。
同じ苗字というのは偶然にしろ出来すぎている。
芦屋、西宮、神戸とめぐり、解散。

1時を回って腹が減ってきた。
三ノ宮まで出て、大槻で寿司を食べようかと思ったけど、
眠いのと疲れとで断念。
新神戸オリエンタルホテルの中の寿司屋で軽く食べる。
いい感じで酔いも回り、そのまま新幹線に乗り、東京まで熟睡。

東京駅に着き、タクシーで家まで移動。
途中、コンビニで牛乳3パックとパンを買う。
もゆはとにかく牛乳を飲む。これでコタロウも牛乳を飲みだしたら、一週間に何本牛乳を用意したらいいんだろうか。

久々に家でゆっくり家族そろって夕食。
さすがに酒は飲まず、水だけにした。

ゆっくり二人を風呂に入れる。

ここ数日間のまとめをするために机に向かう。

今、一番しなければならないのは、これから取り組むべきことに対する自分の軸を決めること。

軸が決まれば、言動にゆったりした力強さがでるはず。

2004年6月 9日

2050年に誕生する仕事、なくなる仕事

4週間ぶりの講座。
この講座には、4月から中3と高1が16人参加している。

今日のテーマは「2050年に誕生する仕事、なくなる仕事」。
それを考えながら、どんな社会になっているか、どんな社会にしたいのかを明確にしていく。

ゲストに迎えたのは「50年前にはなかった仕事」であるWebプロデューサーの粟飯原理咲さん。

「2050年に誕生する仕事」は、かなり興味深い意見がたくさんでた。

・海上海中建築家(2050年には海上海中でも生活している。)
・宇宙生活アドバイザー(宇宙で快適に生活するため。)
・電波による疾患の専門医
・自給自足が流行る
・ロボット専門病院(修理工場じゃなくて病院。)
・軍隊(やっぱりこれはなくならない。)
・携帯電話がもっと小さくなり体に埋め込まれちゃう。
・時空警察(時空を越えて悪い奴を取り締まる)
などなど、他にもいろいろ出た。

正直、ちょっと質問設定が難しいかな、ちゃんと宿題としてやってきてくれるかな
と心配していたが、やわらかい頭で発想してくれたようだ。

職業を考えるときに、どうしても今存在する職業のラインナップから選ぶ、という感じになりがちだ。13歳のハローワークもいいけど、誰かが用意した仕事カタログから選ぶなんて、悲しい。

それじゃあ、あまりにも夢がない。

こうやって未来を想定して、そのときに存在する仕事を想像してみるというアプローチは、けっこう子どもたちの可能性を引き出すことができる。

この講座を組んでみて感じることだが、質問の設計に悩むことが多い。
質問がチープだと返ってくる答えもチープ。
こっちの質問と子どもの答えとの真剣勝負。

これが楽しい。

高校のときの数学を習った山本先生が、「この問題はいい問題だ」と言っていたその真意がやっとわかってきた。

さて再来週はわが友、金子重人がゲストとして登場。しかもその日は彼の誕生日。

講座が終わったあとにある生徒が「坂村健さんをゲストに招いて欲しい」とリクエストしてきた。
坂村健。あのTRONの坂村健さんだ。

さすがに知り合いじゃないから実現できるかどうかわからないけど、着実に未来に向かって彼女達の意識が変わっていることを感じた。

坂村健さん、ゲストに来てくれるだろうか。

2004年6月18日

集中力って何だ?

あるプロスポーツチームのオーナーから、彼が読み終わった本をもらった。

マネー・ボール

うれしい。

貧乏球団アスレチックスの話だ。だいぶん前から買おうと思っていたのに、
なぜだか手にしていない本だったのでありがたく頂戴した。

彼とは短い時間ではあったが、濃い時間を過ごせた。
僕の仕事の話、彼のチームの話、人をどうやって育成するかなどなど。
いつも刺激と勇気をくれる。

そして「集中力」の話をした。

「集中しろ!って声かける人もいるけど、あれはダメだね。
 集中しろ!って言われて集中すると、体はなおさら堅くなって次の動きが遅くなる。」

わかる。

集中力が足りない、集中しなさいと言われることが多かった。
今でも自分自身に「集中集中」なんてつぶやいたりすることもある。

ただ、集中している状態って、実際はどういう状態なんだろうか?

心拍数、呼吸数、体温、脳波などなど、体はどういう状態の時に「集中している」と言えるんだろうか。

集中していれば、いい結果が出るのか?いい行動が起こせるんだろうか?

マラソン選手が 42.195km ずっと集中なんてしてるとは思えない。
棋士が将棋盤に向かって、勝負がつくまで集中しているなんてことはない。
100メートルの選手は、いつ集中するんだろう。

何に集中しているのか。
何のために集中するのか。

そしてその「集中力」っていったいどういう力?

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2004年6月26日

33歳で保育園設立

モユが通う保育園の懇親会。
つき組のほとんどのメンバーとお世話になっている保育士さんたちが集まる。
店を貸切にしての懇親会なので、気兼ねなく子どもたちも大騒ぎできる。

懇親会には、理事長と園長先生も参加。
お二人はご夫婦でもある。

せっかくの機会なので、保育園設立の経緯を聞いてみる。

理事長が33歳。お子さんが3歳のときに、保育園を設立したとのこと。
「娘を行かせたい保育園がなかったから」と、設立の理由を話してくれた。

理事長は、目がきれいだ。
時々、遠くを見るような目をしながら話をする。
それを横で園長先生が、柔らかい顔でうなづきながら聞いている。
いい夫婦だ。

1977年、33歳で保育園設立。

オレも来年、33歳だ。

2004年6月27日

トマトジンギスカン

自宅でジンギスカンという大胆なことをしてしまった。

松尾ジンギスカンの鍋を2つ用意。
肉も当然、松尾ジンギスカン。全部でラム、マトン、ロースの3種類を合計10kg。
野菜は、玉ねぎとモヤシのみ。あとは大切なのはうどん。

ヤマケンが、ながしま農園の野菜を調達。
長島さん曰く、「トマトをジンギスカンに入れるとウマイ。騙されたと思って、やってみてくれ。」

トマトジンギスカン?と思って、一つの鍋にトマトを放り込んでみた。

CIMG4076.JPG

いや、たしかにこれはアリ。ウマイ。

結局、入れ替わり立ち代り人がやってきて、昼からスタートして結局20時頃にはやっと10kgの肉も食べつくされた。

残ったのは、ジンギスカンの臭い。
部屋中というか、家中ジンギスカンの臭いです。
あと数日間はこの臭いと共に生活します。

2004年6月29日

夏休み

どうやら6月28,29,30日が今年の夏休みということになってしまった。

本当はこの3日間で引越しをする予定だったのが、引越し先が決まらない。
3週間ほど引越し予定は先送り。
しばらくは新幹線と飛行機とホテルの日々。

夏休みといっても何も予定がない。
予定を入れてはいけない3日間だったから、本当に予定が何も入っていない。

7月、8月、9月もまとまった休みはとれそうもなく、今年の夏は終わりそう。

どんな夏にしてやろうか。

宇宙旅行に行きます

この1ヶ月くらい2050年の未来を考えている。

そしたらやっぱり宇宙旅行だ。

スケールド・コンポジッツ社はカッコいい。
こういう会社は本当にカッコいい。

3秒間の無重力体験をしたマイク・メルビル氏は何歳なんだろう。
60才近いんじゃないだろうか。

http://www.asahi.com/english/svn/gillmor/TKY200406260224.html

もう行った人もいる。
民間人宇宙観光旅行だ。
旅費22億円。
価格が10分の1になれば、僕は挑戦する。絶対。

2004年6月30日

夏休み、最終日。

夏休み、最終日。

昨日は家族で「鮨 たなべ」へ。
モユはイクラに初挑戦。
発作を起こさないかドキドキしたが、難なくクリア。
ふだんより、かなり上手にスプーンを使い、オトナ二人分をペロリと平らげた。
アナゴの刺身に岩のり。
どうやら彼女は酒の肴が好きらしい。

朝。
夢の中では、大きなビルが崩れ落ちた。
どうやらそれは雷の音だったらしい。

僕は眼科医で、内臓の目玉を顔の目玉に移植するというミスを犯したらしく、
患者が「なにか腸のようなものが見える!」と大騒ぎしているのを、なだめていた。

昼は久々に焼き素麺を作る。
明日からのスタートに向けて、髪を切って気合を入れる。
といっても、いつもの髪型だが。

壊されたメガネを2本持って、銀座へ。
カムロで修理。
ちょうど、メガネメーカー(?)の営業の人が、カムロさんと小野寺さんと打ち合わせ中。
カムロさんが「ちょうどいいときに来た。」と呼んでくれた。

渡されたのは、どうかけていいかさっぱり不明なメガネ。
耳にかけるところが耳を挟み込むようにVの字になっているが、どうみても短くて、耳までは届かない。
試作品というそのメガネをかけさせてもらう。
最高。
かけやすいし、おもしろい。
正式に発売されたら、買ってみよう。

壊れた2つのメガネのうち、遊び用のは部品取り寄せ。仕事用はすぐに直った。
これで明日からの仕事メガネの数が十分になる。

家に戻り、コタロウと二人で駒沢公園を散歩。
平日の早めの夕方なのに、けっこうお父さんと赤ちゃんの二人連れ散歩がいる。
「平日の夕方に子どもと散歩なんかして、なんの仕事してんだろう?」と不思議に思うが、お互い様。

大学生のサークル同士のサッカーの練習試合を眺める。
流れをつくっている選手に自然と目が行く。
1点入ったところで散歩を続ける。

明日からのスタートを切れば、こうして平日の夕方なんかにコタロウとも散歩なんかできないのかと思うと、ちょっと迷いが出る。


最近、2つの言葉をずっと繰り返し自分に問うてみている。

1つは、タクシーの運転手さんが言った「子どもは育てなきゃダメなんです。
オレは育てているか?
シンプルなルールは何か。
まだ育てる軸がはっきりと見つかってない。

もう1つは、「こんなもんでいいでしょ?」の仕事をしてないかどうか。
明日からどういう姿勢で仕事をするのか。
その組織で何をしたいのか。何を変えていくのか。

明日は8時に市ヶ谷。
午前は新会社立ち上げに同席。その後、打ち合わせ。
15時頃に大阪に移動。
夕方、フロアーパーティーに参加。
そのまま大阪泊。

次の日は午前中は物流関係のミーティングに出て、午後は3時間ほどレクチャーを受ける。

何人の人に会い、何人の人と話をするのだろうか。


1泊分の着替えと必要な書類をカバンに詰めながら感じているのは、未知のものに対する怖さなんだろな、この感覚は。

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