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2004年1月

2004年1月 1日

お正月

1月1日。

静かな朝。

昨晩、少し飲みすぎたので、朝は水とミカンを2つ。

然と駒沢公園を散歩。

さすがに普段の朝よりも人は少ないけど、
やっぱりもう走っている人がいる。

その合間を縫うように、インラインスケートをしている人。

犬を散歩させている人も多い。さすがに犬に正月飾りをしている人はいなかった。残念。

ホームレスの人が、火を熾して餅を焼いていた。

羽子板をしている人たちがいる。珍しい。

もう桜が咲いていた。この花の感じは、たぶん山桜だと思う。

今年は体力だ。


CIMG2129.JPG

2004年1月 2日

年賀状

年賀状が届く。

多い順番に
1.葉書の年賀状
2.shockwave などをつかった動画の年賀状
3.メールもしくはHTMLメールの年賀状
4.サイトに専用のページをつくった年賀状

2が困る。
というか、メッセージを読むまでに時間がかかる。
アニメっぽいのやゲームのようなものを経て、
メッセージを読むという流れ。

これが何通もあると、全部に目を通すだけでも大変になる。
その点、葉書の年賀状は300枚あっても全部に目を通すのには、
そんなに時間がかからない。

shockwave 年賀状も昔は少なくて珍しかったけど、
ここまで増えると、ちょっと構成を見直す必要があるのではないだろうか。

「紙」のよさを改めて実感。

2004年1月 5日

メガネが1つ足りない

仕事始めだ。

そんな気分で朝、メガネを取り替えようと、引き出しを開ける。

ない。
仕事始めな気分のメガネがない。

時間もないので探すのをあきらめ、他のメガネをかけて家を出る。
これはやっぱり朝からすっきりしない気分なのである。

いつもの引き出しにないということは、おそらく車の中か、
どこかの旅行関連のカバンの中だ。

1泊以上するときには、旅先で何かトラブルがあると困るので、
必ずスペアのメガネを持っていく。
おそらくそのまま車に置きっぱなしか、カバンに入れっぱなしに違いない。

いつものように並んでいるメガネが一つ欠けると、ちょっと不安な気持ち。

30人31脚、欽ちゃんの仮装大賞、カリスマ体育教師の常勝教育

さすがに然と二人で年末年始を過ごすのは、
間が持たないだろうと思って、ダスキンで液晶テレビを借りた。

12月30日から1月5日まで借りて、1万9800円。

テレビのない家庭は今時分少ないのだろう、借りるときに
「イベントのディスプレイとしてお使いですか?」と聞かれた。
面倒なので「はい」と答えた。

2004年1月 6日

甘酒

久々に甘酒を飲んでいる。

コンビニでフリーズドドライしたやつが売っていたので、
おもしろそうで買ってみた。

うまい。

甘酒には思い出がいっぱいある。

小学校の時、冬はスケート少年団に入っていた。
練習は厳しかった。
寒いし。しんどいし。
スケート靴の中に、七味唐辛子を入れると、ポカポカして温かいと聞いて、
試してみたりしていた。

唯一の楽しみは、休憩時間に用意されている甘酒。
ストーブで暖まった管理棟に入って、甘酒をもらって飲む。
どこのおばさんが作るかによって、少し味が違っていた。

とにかくこの甘酒を飲むと、生き返った。
またリンクに出て、滑ってやろうというパワーが沸いた。


甘酒が好きだったから、酒粕を買ってもらって自分で作ってみたことがある。
鍋に酒粕と水を入れて、火にかける。
少しずつ砂糖を入れる。それだけだった。

初めて自分で作る甘酒だから、自分好みの甘さにしようと思って、
砂糖を少しずつ入れていった。
でも、なかなか好みの甘さにならない。

思い切って、どばっと入れてみた。
甘くならない。

もう一回、どどどっと入れた。

しょっぱくなった。

ずっと塩を入れていた。

2004年1月 9日

教員室と職員室

教員室と職員室のレイアウト。

教員室と職員室が分かれている学校。
教員室と職員室が一緒になっている学校。

成績などの個人情報の管理の問題などで、
分けているというのもあるかもしれないけど、
一体になってたほうがいいんじゃないだろうか。

・教員室と職員室は一緒にする。
・一緒にした部屋は、児童生徒の通用玄関の近くにする。

大地震の際の対応

ある都内私立中学校で授業をやらせていただいた。

その教室には「大地震の際の対応」というのが貼ってあって、
生徒別に、
1.自宅に帰宅
2.事前に指定してある場所に避難
3.保護者が迎えに行くまで学校に待機
という3つの対応が生徒別に決まっていた。
おそらくこれは保護者からの要望によって、生徒によって対応を変えているのだと思う。
同じ紙には、生徒の最寄り駅も一覧になっていた。

これ、すごく参考になった。
真似をしよう。

「幸福のつくりかた」 橋爪大三郎

ポット出版の沢辺社長に頂いた本。

いろいろなヒントになった。



「幸福のつくりかた」 橋爪大三郎

2004年1月10日

小2女児、危険物取扱者試験を突破



小2女児、危険物取扱者試験を突破=最年少の合格-漫画参考書で勉強・福岡
 ガソリンや灯油、軽油を業務で扱うために必要な資格である乙種危険物取扱者(第4類)の試験に、福岡市南区の高校教諭篠原博志さん(50)の2女で、同市立宮竹小学校2年の玉樹ちゃん(8つ)が合格したことが9日、分かった。労基法などのため実務にはもちろん就けないが、全国最年少での合格者。
 玉樹ちゃんは工業高校で危険物取扱者試験の受験対策を指導する博志さんが購入した書籍の中から、同試験を漫画で解説した参考書に興味を持ち、勉強を始めたという。一昨年の11月の試験で初挑戦し、3回目の挑戦となる昨年11月の試験で合格した。玉樹ちゃんは将来について、父親と同様「先生になるのもいい」と話しているという。
 昨年11月の試験の全国合格率は30%強で、3人に1人以下だった。 (時事通信)
参考

この子が合格した乙種危険物取扱者(第4類)の過去問題は、こんな感じ。すべて選択式ではある。

何がすごいって、この子の知識というよりも、むしろ読解力。
読解力さえあれば、あとは自学自習ができる。

残るはアウトプットのトレーニング。

2004年1月11日

家族向けアニュアルレポート

数日前に、ある会社のアニュアルレポートを手にした。

アニュアルレポートというと、投資家や顧客、取引先向けに製作するものかと
思っていたけど、その会社のそれは、社員の家族向けに製作されたものだった。

なるほど、こういうのもありですな。

2004年1月14日

消えました

ということで、一年分の雑記データがどっかんと消えた。
幸いHTMLが残っていたから、最悪の事態は免れたが。

相変わらずケアレスミスは減らず。

こういう時、増田さんによく助けてもらったなぁ。

2004年1月16日

学校の掃除

ある学校を訪問。

ちょうど掃除の時間だったらしく、
生徒が掃除をしていた。

来客用の玄関に行くと、生徒がそこを雑巾できれいに拭いていた。
拭いていたのは、玄関をあがったところじゃなくて、土足のところだ。

応対してくれた人が応接室のドアを開けると、生徒が何人かそこにいた。
掃除をしていた。
応接室の外には、そこの椅子が出ていた。

応接室も生徒が掃除するなんて、あまり聞いたことがない。

初対面だったが、自己紹介もせずに思わず最初に校長先生に質問した。

「応接室も生徒が掃除するんですか?」

その学校は、学校のすべての場所を生徒が毎日掃除をするらしい。
だから当然、応接室も玄関もトイレも。そして職員室も。
創設以来ずっと続いている伝統だそうだ。
15分間という時間が決まっていて、その時間内に掃除を終えるとのこと。

新しい校舎ではないが、たしかに学校がきれいだ。

きれいな学校は気持ちがいい。

すごく単純なことかなのかもしれないけど、すごくいいヒントになった。

学校のカラー

去年の夏休み、Sという学校の中学校3年生30名を対象に、2日間にわたって特別授業をした。
それとほぼ同じプログラムを、先週、Tという学校の中学校2、3年生21名を対象に同じように2日間にわたって行った。

Sでは、長い鉛筆をボキッと真っ二つに力づくに折られた。1本が2本になったわけだ。

Tでは、配布された道具を丁寧に使ってくれた。だが、大胆な合併という戦略をとった生徒がいた。

自然と学校のカラーって出る。

子育てのゴール

日本にいるJAVA関連の人ならきっと誰もが知っているだろう有名人の方から久々にメールが届き、15日に教育について意見交換。

意見交換後、一緒にいらした方からメールが届いた。

そのメールで投げかけられた質問。


「子育てのゴールとはなんだと思いますか?」

2004年1月17日

9年ぶりのマスク

然、インフルエンザに感染。

これでオレがうつされたら本城家で健康な人はゼロになる。

とりあえず、イソジンでうがいをして、ユンケルの高いやつ飲んで、生姜湯を飲み、背中を温める。
手遅れかもしれないけど…。


そして、久々にマスクを買った。
9年ぶりだろうか。

前回、マスクをつけたのは1995年1月、神戸。
本山交通公園に約一週間滞在。

あの大震災から今日で9年。

2004年1月19日

教科準備室

カルチュアコンビニエンスクラブ増田社長の言葉、「人事はレイアウト」を思い出す。

中学校、高校には教科準備室があることが多い。
各科目ごとの教員の部屋。

教科を担当している教員の連携を高めたり、
資料の共有をするためにあるものだろうが、
教員全体や学年団のコミュニケーションの阻害要因にもなりうる。

大抵の場合は、教員室と教科準備室は離れている場合が多いし、
それぞれの教科準備室も距離的には近くない。

教員室と教科準備室を一体化する。
それぞれを「部屋」として独立させるのではなく、
一つの大部屋の中に、スペースとして存在させる。

中心に教員各自の机群があって、それを取り囲むように
各教科のためのスペースを用意する。

机、椅子、会議スペース、資料スペース、休憩場所…。
それぞれの配置によって、
人のコミュニケーションの流れ方は大きく変わる。

2004年1月20日

ホワイトボード用コンパス

ある学校で教頭先生と意見交換をしていたら、数学の先生が顔を出してくれた。

上着はチョークの粉で少し白くなっていた。
そして手には大きなコンパス。

黒板とホワイトボード。

どっちが使い勝手がいいんだろう、どっちが見やすいんだろうと何度も思っていたんだけど、
その数学の先生の姿を見た瞬間、すごいことに気がついてしまった。

ホワイトボード用の大きなコンパスってあるのか?

幾何の授業をやるときにはコンパスは必須だよな、やっぱり。


それにしても、オレ、ずいぶんと細かい話してるな…。

2004年1月21日

校則


このレポートの中にも引用したのですけれど、あるインターナショナルスクール(中学)の校則を見たところ、たった三行しかないのですね。

第一条は、
Respect the rights and property of others.
他人の権利や持ち物を大切にします。

第二条は、
Never keep someone else from learning.
他人が勉強するのを邪魔しません。

第三条は、
Never say or write anything to hurt someone.
誰かを傷つけるようなことを言ったり書いたりしません。

となっています。

幸福のつくり方(p33) 橋爪大三郎 ポット出版

てめえのことはどうのこうの言わないけど、
絶対に他の人には迷惑かけんなよな、ってことだな。

夢ハ夢

夢ハ夢ト
オモウ人ニハ
夢ハ夢


山中温泉から1年ぶりに届いた言葉。

毎年、やっぱり沁みる。

2004年1月23日

生徒による授業評価

いくつかの企業で社長として活躍された方が、現在、ある高校で講師として教えている。あるきっかけで知り合いになれたので意見交換をさせていただく。

その方が、自主的に自分の授業で生徒による授業評価を実施している。

一番最初の評価項目。

「講師は情熱を持って授業に全力投球していると感じたか?」

「全力投球しているか?」 じゃなくて 
「全力投球していると感じたか?」

投げているボールをどうのこうのじゃなくて、
受け止めたボールの感じなんだな。

この微妙な違いが大事。

2004年1月25日

日本の人口推移

参考


年齢(3区分)別人口及び増加率の将来推計:2000~2050年
年 次 人口 (1,000人) 年平均人口増加率(%)
総 数 0~14歳 15~64歳 65歳以上 総 数 0~14歳 15~64歳 65歳以上
2000 126,926 18,505 86,380 22,041        
2001 127,183 18,307 86,033 22,843 0.20 -1.07 -0.40 3.64
2002 127,377 18,123 85,673 23,581 0.15 -1.01 -0.42 3.23
2003 127,524 17,964 85,341 24,219 0.12 -0.88 -0.39 2.71
2004 127,635 17,842 85,071 24,722 0.09 -0.68 -0.32 2.08
2005 127,708 17,727 84,590 25,392 0.06 -0.65 -0.57 2.71
2006 127,741 17,623 83,946 26,172 0.03 -0.59 -0.76 3.07
2007 127,733 17,501 83,272 26,959 -0.01 -0.69 -0.80 3.01
2008 127,686 17,385 82,643 27,658 -0.04 -0.66 -0.76 2.59
2009 127,599 17,235 81,994 28,370 -0.07 -0.87 -0.78 2.57
2010 127,473 17,074 81,665 28,735 -0.10 -0.93 -0.40 1.29
2015 126,266 16,197 77,296 32,772 -0.19 -1.05 -1.09 2.66
2020 124,107 15,095 74,453 34,559 -0.34 -1.40 -0.75 1.07
2025 121,136 14,085 72,325 34,726 -0.48 -1.38 -0.58 0.10
2030 117,580 13,233 69,576 34,770 -0.59 -1.24 -0.77 0.03
2035 113,602 12,567 65,891 35,145 -0.69 -1.03 -1.08 0.21
2040 109,338 12,017 60,990 36,332 -0.76 -0.89 -1.53 0.67
2045 104,960 11,455 57,108 36,396 -0.81 -0.95 -1.31 0.04
2050 100,593 10,842 53,889 35,863 -0.85 -1.10 -1.15 -0.30
社会保障・人口問題研究所『日本の将来推計人口』(平成14年1月推計)による各年10月1日現在の推計人口(中位推計値)。年平均増加率は,(n√P1/P0ー1)*100によって算出。ただし,P0,P1はそれぞれ期首、期末人口,nは期間。総数に年齢不詳を含む。

世界の人口推移と食糧

世界・主要国の将来推計人口UNITED NATIONS POPULATION DIVISION

肉の生産と穀物(飼料)の関係は、
鶏肉などの家禽肉1キロにつき穀物が2キロ
豚肉1キロにつき穀物4キロ
牛肉1キロになると穀物7キロ
が必要…。
所得向上による食料需要の変化

なんかやばくないか?

2.661 にバージョンアップ

MovableType を 2.661 にバージョンアップ。

参考にしたサイト
Milano::Monolog
dh's memoranda

なぜかわからないけど、これまでうまく動かなかった Trackback が動くようになった。

コメントが来たらメールでお知らせというのは、やっぱりダメ。

2004年1月26日

やりたかった仕事・職業

神奈川県のある私立中学校の進路講演会で話しをさせていただいた。

講演の準備をしながら、俺ってどういう仕事に就きたいと思っていたっけと振り返ってみた。

【幼稚園】
フェリーのサンフラワー号の船長さん。
幼稚園時代に書いた絵が残っている。

【小学校2年生】
小児科医。
少し大きな病気をして、お世話になったお医者さんの影響。
その先生は、大阪大学医学部出身だったはず。

【小学校6年生】
農家。
真剣に世界で核戦争が起こると思っていた。戦争が起これば食料が不足すると思って、農家になって食べ物つくろうと考えていた。かなり真剣だった。

【中学生】
エリートサラリーマン。
この頃、あまり考えてなかった。ただ単純に勉強が面白かった。漠然と東京で仕事をしたいなあと思っていた。田舎の少年。

【高校生】
国連職員かカウンセラー。
南アフリカの反アパルトヘイトの活動に関わったのがきっかけで国連に興味を持つ。
寮生活をしていたので、寮教諭の仕事に興味を持ったのがきっかけで、カウンセラーという仕事をしる。京都大学教育学部に進学して、河合隼雄さんの弟子にしてもらおうと思っていた。

【大学生】
建築家、都市設計家。
「街」に関わる仕事がしたかった。

【大学院生】
日本興行銀行。
とにかく、そこ一本に絞って就職活動していた。
結局はそこを辞めた人と出会い…。

振り返ってみると、どれもいまだに興味あることばかりだ。

2004年1月28日

長くその子と接する

大阪にて公文式教室の指導者の方、数名とと意見交換。

強く印象に残ったのは、みなさん人が好きで、成長することが好きなんだということ。
子どもの成長、親の成長、そして何よりも自分自身の成長をとても大切にしている。


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10年くらい同じ教室に通う子どももいるそうだ。
長く子どもと接するということは、
長くその子の親、家庭とも接するということ。

そうすることによって、教室と家庭とが一緒になって子どもを育てていく。
保護者とのコミュニケーションも密になっていく。

2、3年間限定の関わりなら、やり過ごすこともできるけど、
長く関わろうと思えば、覚悟して取り組める。

結婚式に、文子を小さい頃から診てくれていた小児科の先生が出席してくれた。
妊娠してからも、その先生のところに点滴をしてもらいに行っていた。

そういう関係をつくるには、やっぱり一人の大人が長く関わりを持つことが必要なんだろうなあ。

2004年1月29日

手応え

1月初旬に都内の私立女子中学校で、2日間特別授業をした。

今週の月曜日に、そのときに書いた2週間後の自分宛に書いた手紙が届き、それを読んでいるはず。

その生徒のみなさんとお昼休みを使って、今日は再会。
フィードバックをもらう。

たった2日間の関わりではあったけど、
確実に何かのきっかけを残せたという手応えを持つことができた。
ちょっと自信にもなった。

継続的な関わりを持つためのカリキュラムを作りこみます。

2004年1月31日

世の中に広める

金子郁容先生が主催された会合に参加した。

新しいものを世の中に広めて実現するというのは、こういうことなのか、と学ぶ。

コミュニティ・スクール構想」という本が出版されたのが2000年12月。

金子先生がどういう方法でこれまで進めてきたか、具体的に細かく知っているわけではないけども、「なるほど」と思うことが多い。勉強になる。

彼が一人でやっているわけじゃもちろんないけど、すごいよなぁ。

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