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2004年2月

2004年2月 1日

寮と学校の距離。通学の時間。

三浦さんと話をした帰りに、浮かんできた。

寮は学校から少し離れたところにつくろう。

通学の時間を楽しめるように。
通学の時間が思い出になるように。

歩いて30分くらいの場所。

「忘れ物を取りに帰りなさい!」と怒られたら、げんなりしちゃうような距離。
忘れ物を取りに帰って戻ってきたら授業が終わっちゃっているような距離。

お腹?

お腹が見えちゃってんの?と思った…

検索語

一週間前からアクセス解析を導入してみた。

いろいろな検索語で、google やら yahoo やらから検索してヒットしているらしいが、
上位5件の中におもしろいのがあった。

1 本城 18 6.3%
2 本城慎之介 14 4.9%
3 学校の掃除 13 4.6%
4 株式会社音別 12 4.2%
5 本城愼之介 8 2.8%

みんな「学校の掃除」にけっこう興味があるんだね。

Yahoo
google

2004年2月 5日

小学生日記

小学校5年生の夏休みに、小説を書く、という宿題があった。

400字詰め原稿用紙100枚くらいの大作を仕上げた。
その頃の僕は、小松左京と筒井康隆にはまっていた。

特に、筒井康隆のちょっとHな感じは最高だった。

そんなわけで書いたのはSF小説。
タイトルは「アポロ3/13号」。
約分できないような分数にした記憶がある。

最初つけたタイトルは「僕の宇宙船」だったのに、
読み終えた父親から
「このタイトルの”僕”って一体誰だ?」という感想をもらって、タイトルを書き換えた。
その小説にはどこにも「僕」がいなかった。

最終的には、「カクラウン人」という宇宙人を登場させ、
彼の視点から書いた小説ということでとりあえずまとめた。

カクラウン=カリーナ+クラウン。
僕の父は、トヨタのディーラーでセールスマンをしていました。

その小説は今でも本棚で眠ってます。はっきりいって、おもしろいです。


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楽しく読めました。

小学生日記

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2004年2月 6日

小学生日記の続き。書くこと。

小学生日記を書いた hanae は、1991年生まれだって。
オレが大学に入学した年だ…。
ちょっとショック。

ページをめくりながら、彼女の声を想像しながら読んでいた。

「うるっせーんだよ!」と叫んだときは、どんな声だったんだろうか。


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作文はよく書いた。
作文は好きだった。

小学校・中学校の夏休み・冬休みの宿題には必ずといっていいほど作文があって、
僕はそれを書くのが大好きだった。
今度は何を書こうかとワクワクしながら、休みを過ごしていた。

たしか小学校5年生の夏休みの作文だったと思うけど、
書き出しがいきなり会話から始まる作文を書いた。
そんな作文の書き出しを思いついたことが大発明のような気がして、
「すげー、オレって天才かもしれない。」とドキドキした。

その作文の題名は「牛のお産」。
書き出しの一行目は、
「牛のタマゴが生まれた!」だった。

「23日間続かなかった米研ぎ」という作文も書いたなあ。
けっこうタイトルを覚えている。

日記も小学校3年生くらいから中学生になるまで、ずっと書いていた。
しかも、いつからか忘れたけど、ずっと詩で書いていた。
当時の日記を読み返すと、詩というよりも散文だ。
でも、その頃は「オレは詩を書いている」と自信満々だった。

中学校3年生冬は、好きだった子とひたすら交換日記。
今やお互い結婚し、親だ。


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1月26日にある学校の中学校3年生向けに行った進路講演会の感想文が届いた。

フィードバックがあるというのは、やっぱりとてもうれしい。

講演の冒頭に生徒のみなさんにはこう伝えていた。

「今日この時間の目標や質問したいこと、知りたいこと、興味のあること、何でもいいので一つだけ手元の紙に書いてください。」

この導入が印象的だった、という感想が目立った。
意図は伝わっていた。

思っていることを書く。
書いたら声に出して読む。
読んだら聞いてもらう。
聞いてもらったらフィードバックをもらう。
また思う。
そして書く…。


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授業中、どれだけの時間、書いているだろうか。

黒板をノートに写す。
でも、あれは書いてない。書いていることにはならない。

そう思うと、学校で「書く」時間はほんのわずかな気がしてきた。


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「書くこと」について、気づきがあった一日だった。

2004年2月10日

校長先生

香川県の公立中学校を訪問。

少し前までかなり荒れていたらしい。
授業中でも多くの生徒が、廊下を徘徊。
3年前は窓ガラスが100枚近くが割れていた。

この学校ではある大胆な改革を実行中。
家庭、地域を巻き込んで、生徒の学習意欲と学力を高めている。
改革スタートから10ヶ月。着実にその成果が出始めている。

徘徊する生徒が激減。窓ガラスも割れることが少なくなってきている。

ここの校長先生は本当にすごい。
とにかく、やることが徹底している。

全校を毎日一人で日中掃除をしている。
学校の汚れ具合で、生徒の落ち着き具合がわかるそうだ。

来客があれば、玄関にその来客の名前を書いておく。
まるで旅館のようだ。

数値で学校の様子を徹底的に把握する。
遅刻率、出席率、窓ガラスの割れた枚数、紛失物の数、ゴミの量、ヘルメット着用率、怪我の件数、生活保護家庭の数…。
50くらいの観点から数値を算出し、その推移がわかるようになっている。

そしてその数値の推移を、保護者や生徒にもオープンにしている。


校長先生が赴任してから2年が経つ。

一つの学校で改革を実行して、浸透させ、そしてもうワンステップ上に持っていくには、
6年は必要だろう。

あと何年、この校長先生はこの学校にいれるんだろうか。

2004年2月11日

中学3年生からのオススメ

1月に交流があった中学3年生からメールが来た。


学内の専門委員選挙に立候補したが、落選した。
でも、初めて立候補したことが、いい経験になった。

おもしろい本に出会った。
本のタイトルは「社会人として大切なことはみんなディズニーランドから教わった

そんなことが書かれていた。

きっと彼女の中で何かが変わり始めているんだろう。
その本を読んでみた理由も、社会に興味が出始めている証拠だろう。

自分を知る、社会を知る、自分と社会との関係を知る。


オススメされた本、読んでみようと思う。

2004年2月15日

金曜日、土曜日、日曜日

金、土、日とゆっくり休んだ。

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金曜日。

名古屋から鎌倉経由の友達が、子どもを連れて遊びにきた。

然とはちょうど1年マイナス3日違いのK君は、
去年ハイハイしていたのが信じられないくらいに、
すらっと背が伸びて、力強く走り回っていた。

彼女が名古屋に住みだしてから4年たつ。
といっても、けっこう鎌倉に帰ってきているから、
遠くにいるという感じもしない。

何かすごくいい話をしたわけでもないような気がするが、リラックスできた。
そういう魅力を持っている人だ。

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土曜日。

父が出張ついでに泊まりに来た。
当然のことながら目当ては然。

前回会ったのが去年の5月だから、しばらくは然も彼にはなつかないだろうと思ったら、
あっという間に、きゃっきゃと遊びだした。
どうやら。おじいちゃん子らしい。
おばあちゃん二人がこの様子を見たらショックに違いない。

滞在中、父と一番話しをしたのは然。
それくらいしっかり遊んでもらっていた。

然が寝た後、
「この子がおじいちゃんと遊んだ、という記憶ができるくらいまでは、ちゃんと生きていたいなあ」
と、父が言った。

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日曜日。

駒沢公園を散歩。
梅がきれいに咲いている。

実家には、桜の木が三本ある。2002年の春に地元の友達がお祝いに苗木を贈ってくれた。
あの桜の下で花見をしながら宴会できるくらいまで、父には生きてもらわないと困るなあ、と思った。

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2004年2月16日

アルケミスト

ある人が、この本を貸してくれた。
本に挟まっている手紙を見てみると、2001年2月に借りている。

しまった、3年も借りっぱなしなのだ…。

この本を必要な人のところに戻そう。

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2004年2月17日

五味隆志さん講演

Applied AI Systems, Incの五味隆志社長の話を聞く機会に恵まれた。

人工知能の最先端に携わる人の話は、やはり刺激的。

創発だとか自己組織化だとか大学院の時に学んだキーワードがどしどし出てきた。

懐かしみながら話を聞いていたら、もうそれらは実装され実用化されたロボットやシステムとして世の中に出ているというのを聞いてびっくり。
軍事技術にもたっぷり使われているらしい。

ヒントになったのは次の2つ。

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現在、ロボット(コンピュータ)に求められているものは、
・あいまいに対する処理能力。
・変化する環境に適応する能力
であって、
・精度、確度の追求ではない。
・論理的推論ではない。
・制御の問題ではない。
ということ。

プリウスの自動駐車機能(?)が話題になったけど、
五味さんの話を聞いて、今後の目指すべき開発の方向性が理解できた気がする。


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進化と学習は違う。

学習は、個体・一世代の変化。
進化は、集団・世代的な変化。


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でも、こんなことって、大学の基礎レベルの知識だな…。


五味さんは、「この一冊で哲学がわかる」の文庫版をいつも携帯しているらしい。繰り返し繰り返し読んでることが、ボロボロになっている本の様子からわかった。

読んでみよっと。

「人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない」 も忘れずに。
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アドバイス

昨日、夢の中に小林陽太郎さんが出てきた。
そうあの富士ゼロックスの小林陽太郎さんだ。

会ったこともないのに声が鮮明に聞こえた。

小林陽太郎さんが、新しい学校(幼稚園から高校)を設立するというので、
一緒にやらないかと声をかけてくれたのだ。

彼のオフィスを訪問し、僕の考えているプランを話すと、いろいろなアドバイスをくれた。

あーでもない、こーでもないと数時間ディスカッションをし、
最後は「君に任せたよ!」と言われ、終わった。

なんとなーく目が覚めると、もらったアドバイスはすべて忘れていた。

ただ、小林陽太郎さんと話をしたことだけ覚えている。

夢の中でアドバイスをもらったということは、
きっとそのアドバイスは僕の脳みそから出てきたことだから、
そのうちきっと起きている間に思いつくだろう。

そんな気がします。

2004年2月19日

「理想の小学校を探して」

わたしの意図する「理想の学校」は、英語でいえば「my kind of school (私の好みの学校)」であって、「ideal school(理想的な学校)」ではない。

「理想の小学校を探して」(草生亜紀子 新潮社)

これでいいんだと思う。

学校を選ぶとき、先生になるとき、学校を運営するとき、学校をつくるとき…。
理想的なものなんて追わずに、「私の好みの」を求めればいいんだ。


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取り上げられている小学校

加藤学園(静岡県沼津市)
木細工小学校(岩手県江刺市)
ラーンネット・グローバルスクール(兵庫県神戸市)
萱田小学校(千葉県八千代市)
黒松小学校(宮城県仙台市)
和田小学校(山形県高畠町)
京陽小学校(東京都品川区)

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2004年2月21日

給食の割合

80年間生きるとして、毎日3食ご飯を食べると、一生の間に
3食 x 365日 x 80年 = 87,600 回、ご飯を食べる。

幼稚園、小学校、中学校、高校と15年間通い、通園・通学しているときのお昼ご飯は給食だとすると、
1食 x 200日 x 15 年 = 3,000 回、給食を食べる。

人生の食事における 約3% が給食。
人生の昼ごはんの 約10% が給食。

30歳までの食事ということで考えると、
食事の約9%が給食で、昼ご飯の約27%が給食。

給食、大事ですな。

「本を読んで甲子園へ行こう!」

本を読んだら甲子園に行けそうな気がした。

実践って力がある。
実践だからこそ説得力がある。

宇佐見君にオススメしたいと、読みながらずっと考えていた。

本を読んで甲子園へいこう!(村上淳子 出版社:ポプラ社)
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市川伸一さんの講演会

市川伸一さんの講演会に参加。

近いなあ、という感じがした。

「基礎から積み上げる学び」と「基礎に降りていく学び」。
「習得サイクル」と「探求サイクル」のバランスとリンク。

国語で大事なのは、「主張」と「説明」。
自分の考えを主張できる能力と、知っていることをわかりやすく説明できる能力。

学校の財産

母校函館ラ・サール高校OBメーリングリストが盛り上がっている。

OBのメーリングリストといっても、兄弟校の鹿児島ラ・サールのOBも一緒になっているメーリングリスト。上から下まで、たぶん60歳以上の人から卒業したばかりのOBまでいろいろな年代が加入している。

最近特に盛り上がっているのはいろいろ理由はいろいろあるが、その一つが週刊新潮2004年2月26日号に掲載された、”「恐怖教育で生徒も自殺した!」と父兄に告発された名門校「函館ラ・サール」”の記事。

記事を読めばその取材の質の低さは理解できる。
不衛生だから麻疹(はしか)になったなんて話は聞いたことがない。

当然だろうがOBの間では、記事内容に対する異議が噴出。
「新潮社に抗議する!」というOBまで出たしりて、実際に記事を書いた記者にアポまでとって抗議をしようとする人まで出ている。(そんなことしても飛んで火にいる夏の虫だとは思うが…)

記事になっていることの真偽は別にして、学校にとってOBはやっぱり財産だ。

正直言って、現役の頃に函館と鹿児島の交流なんてありゃしない。
函館ラ・サールにとって、鹿児島ラ・サールは雲の上の存在である。

ただOBになると、急に鹿児島ラ・サールに親近感を持つようになる。(僕の場合は)

そして今回のことも、なんとなく「函館ラ・サールはそうじゃない」というんじゃなくて、
「ラ・サールはそうじゃない」という感じになる。

これは本当に素晴らしいことであって、学校にとっては本当に大切な財産。


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国内には、函館ラ・サール、鹿児島ラ・サールの中学校・高校以外に、仙台には児童養護施として「ラ・サールホーム」がある。国内のラ・サールは、3つがそろってラ・サールだと思う。(日野にもラ・サールホームが今もあるのかな?)


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聖ヨハネ・バプチスタ・ド・ラ・サールは、学校教育史にとって非常に重要な人物の一人。フランスで一般民衆の子どもたちに普通教育を実施したもの彼が最初だ。それまで一対一が中心であった教育において、1対多という今で言うところの「一斉授業」を17世紀に実施したのも彼だ。

そんな人にゆかりのある学校で学べたというのは、僕にとっては最高の誇り。

2004年2月23日

宮城県亘理町

宮城県亘理町へ。

ある改革を実行中の公立中学校を訪問。

一通りのことが終わり、関係者でミーティング。
そこに同席させてもらった。

参加者からは個々の生徒の固有名詞がどんどん出てくる。
ひとりひとりをしっかり見れている証拠だ。
それはきっと生徒にも伝わるだろう。

ミーティングの最中、校長先生が学校以外の人も参加している中で、
自分の学校の先生たちをねぎらい誉めた。
すばらしい行動に感動した。

簡単なようで、これがなかなかできることじゃない。

たくさんのことが学べる予感がした。

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着実に全国で、少しずつ力強い改革が進んでいる。
現場の先生たちが大きく動き始めている。

2004年2月24日

川島隆太氏講演会

昨日に引き続き、宮城県亘理町へ。

地元中学校で、東北大学教授の川島隆太氏の講演会があるということで参加。

川島教授は脳イメージング研究の第一人者。

講演の中心は、「脳を育て、夢をかなえる」に書かれていることではあったが、やはり直接、話を聞くと、さらに理解が深まる。

衝撃的だったのは、痴呆症の老人が「音読」と「計算」を一日に20分くらいずつ毎日やることによって、その症状がよくなっていくという映像。これは本当に驚いた。
学習療法というやつだが、これにはすごく高い可能性を感じる。

さっそく家に帰ってから、然を前にして音読を数分間実施。
自分の脳、前頭前野を鍛えてみた。

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2004年2月25日

「チャンピオンを探せ!」

梅森さんの新しい本が出た。

梅森さんとは不思議な出会いで、僕が机の上にある本を置いていたら、
後ろから「あ、僕の本を読んでくれてありがとうございます。」と声をかけたれたのがきっかけ。

そんなわけで新しい本。
チャンピオンを探せ!」である。

チャンピオン?って感じで最初は意味不明だったのだが、
なるほど、チャンピオンね、と読後は納得。

この本には僕も「佐藤君」として登場している。(コーチングの費用は自分の財布から出していたけど…)

これをきっかけに「チャンピオン」という役割が浸透するかもしれません!


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2004年2月27日

誕生

2月27日 12時32分。
体重2814g。
男児。

第二子、無事、生まれました。

母子ともにばりばり健康。

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2月27日の朝10時頃に病院に入院。
その後、順調に出産。
本当に順調でした。

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なんというか、本当にありがたいことです。

感謝。

お腹の中にいるときの鼓動。
生まれてからの呼吸。

その一つ一つが刻まれていくんだな、という実感。

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