小学生日記を書いた hanae は、1991年生まれだって。
オレが大学に入学した年だ…。
ちょっとショック。
ページをめくりながら、彼女の声を想像しながら読んでいた。
「うるっせーんだよ!」と叫んだときは、どんな声だったんだろうか。
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作文はよく書いた。
作文は好きだった。
小学校・中学校の夏休み・冬休みの宿題には必ずといっていいほど作文があって、
僕はそれを書くのが大好きだった。
今度は何を書こうかとワクワクしながら、休みを過ごしていた。
たしか小学校5年生の夏休みの作文だったと思うけど、
書き出しがいきなり会話から始まる作文を書いた。
そんな作文の書き出しを思いついたことが大発明のような気がして、
「すげー、オレって天才かもしれない。」とドキドキした。
その作文の題名は「牛のお産」。
書き出しの一行目は、
「牛のタマゴが生まれた!」だった。
「23日間続かなかった米研ぎ」という作文も書いたなあ。
けっこうタイトルを覚えている。
日記も小学校3年生くらいから中学生になるまで、ずっと書いていた。
しかも、いつからか忘れたけど、ずっと詩で書いていた。
当時の日記を読み返すと、詩というよりも散文だ。
でも、その頃は「オレは詩を書いている」と自信満々だった。
中学校3年生冬は、好きだった子とひたすら交換日記。
今やお互い結婚し、親だ。
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1月26日にある学校の中学校3年生向けに行った進路講演会の感想文が届いた。
フィードバックがあるというのは、やっぱりとてもうれしい。
講演の冒頭に生徒のみなさんにはこう伝えていた。
「今日この時間の目標や質問したいこと、知りたいこと、興味のあること、何でもいいので一つだけ手元の紙に書いてください。」
この導入が印象的だった、という感想が目立った。
意図は伝わっていた。
思っていることを書く。
書いたら声に出して読む。
読んだら聞いてもらう。
聞いてもらったらフィードバックをもらう。
また思う。
そして書く…。
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授業中、どれだけの時間、書いているだろうか。
黒板をノートに写す。
でも、あれは書いてない。書いていることにはならない。
そう思うと、学校で「書く」時間はほんのわずかな気がしてきた。
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「書くこと」について、気づきがあった一日だった。