母校函館ラ・サール高校OBメーリングリストが盛り上がっている。
OBのメーリングリストといっても、兄弟校の鹿児島ラ・サールのOBも一緒になっているメーリングリスト。上から下まで、たぶん60歳以上の人から卒業したばかりのOBまでいろいろな年代が加入している。
最近特に盛り上がっているのはいろいろ理由はいろいろあるが、その一つが週刊新潮2004年2月26日号に掲載された、”「恐怖教育で生徒も自殺した!」と父兄に告発された名門校「函館ラ・サール」”の記事。
記事を読めばその取材の質の低さは理解できる。
不衛生だから麻疹(はしか)になったなんて話は聞いたことがない。
当然だろうがOBの間では、記事内容に対する異議が噴出。
「新潮社に抗議する!」というOBまで出たしりて、実際に記事を書いた記者にアポまでとって抗議をしようとする人まで出ている。(そんなことしても飛んで火にいる夏の虫だとは思うが…)
記事になっていることの真偽は別にして、学校にとってOBはやっぱり財産だ。
正直言って、現役の頃に函館と鹿児島の交流なんてありゃしない。
函館ラ・サールにとって、鹿児島ラ・サールは雲の上の存在である。
ただOBになると、急に鹿児島ラ・サールに親近感を持つようになる。(僕の場合は)
そして今回のことも、なんとなく「函館ラ・サールはそうじゃない」というんじゃなくて、
「ラ・サールはそうじゃない」という感じになる。
これは本当に素晴らしいことであって、学校にとっては本当に大切な財産。
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国内には、函館ラ・サール、鹿児島ラ・サールの中学校・高校以外に、仙台には児童養護施として「ラ・サールホーム」がある。国内のラ・サールは、3つがそろってラ・サールだと思う。(日野にもラ・サールホームが今もあるのかな?)
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聖ヨハネ・バプチスタ・ド・ラ・サールは、学校教育史にとって非常に重要な人物の一人。フランスで一般民衆の子どもたちに普通教育を実施したもの彼が最初だ。それまで一対一が中心であった教育において、1対多という今で言うところの「一斉授業」を17世紀に実施したのも彼だ。
そんな人にゆかりのある学校で学べたというのは、僕にとっては最高の誇り。