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2004年12月

2004年12月 1日

2000字の作文

悩まされています。

2000字ってちょうど良いボリュームなんだけど、難しいよなあ…。
とりあえず、思いつくままに打ち込んでるけど、いまだ構成が浮かばない。

背骨が出来てないんだな。

2004年12月 8日

フィールドワーク

久々に街をフィールドワーク。
この街には、大学3年生の時に在籍していた金安研究会で来たことがある。
ゴミ処理場の熱を使って、温水プールを運営している施設があり、そこを見学した。

その頃その街は、開発の真っ最中。地下鉄の駅がぽつりとあって、周りはがらんとした空き地。
地下鉄を出てからの道路というか通路も、仮設っぽく、寂しい感じだった。

それから12年くらいが経ってるんだろうか。

久々にそこをじっくり歩いた。
戸建て住宅とマンションが立ち並び、きれいに整理された道。
公園があり、ショッピングセンターがあり、ファミレスがある。

まさにニュータウンだ。商店街がない街だ。
歩きつかれてタクシーを拾おうと思っても、タクシーなんて走ってない。
コンビニを見つけるのも一苦労。

未体験ゾーンで楽しい感じ。

2004年12月 9日

人生は芝居のごとし

「人生は芝居のごとし。上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし。」(福沢諭吉、福翁自伝)

今日、ある方に言われたが知らなかった言葉。
彼があのタイミングでこの言葉を引き合いに出したのは、大きなメッセージだったのかもしれない。

今から思えば、こういう表現をしたら良かった、この一言を伝えておけば良かったというのはたくさんある。
後悔とはまた違った思い。

いずれにせよ、初めての体験を楽しめた。さすがにキンチョウしたが。

2004年12月14日

6時10分の謎

モユに時間を聞いたり、彼女との会話の中で出てくる時間は、ほぼ間違いなく
「6時10分です。」だ。

6時10分。
ロクジジュップン。

ジュップンのジに一番のアクセントを置く。

で、彼女の中では6時10分に何が起こってるんだろう。
謎だ。

難しかったこと

高校1年生、2年生を対象にした特別講座全5回が終了。

講座の最後に感想を言ってもらった。

「難しかった。」
「何が難しかったの?」
「自分のことを考えるのが難しかった。」

そうだよなあ、自分のことを考えるのは難しい。
わかる、その気持ち。

boy live。「僕たちむちゃくちゃ練習してます。」

boy の live に行った。

boy というのは代官山にある美容院で、茂木正行さんという人がやっている。

別にそこで髪の毛を切っているわけでもないのだが、
ある人が茂木さんを紹介してくれて、お昼を一緒に食べる機会があった。

boy がどんな美容院なのかはぜんぜん知らない。
Web サイト見ても、正直わからん。

茂木さんは、どうやら海外でも成功して、で、「ハズシ」というのをつくった人らしいが、「ハズシ」が何なのかは全然わからない。

金髪、派手な服装。やさしく鋭い眼光。
第一印象は、うげーだったが、すっごい楽しいランチだった。
彼の子育ての話は最高におもしろい。

で、そのときに「今度 live をやるからいらしてください。」と誘われた。

僕がここ4年くらいずっとお世話になっている美容師さんに、
「茂木正行さんって知ってます?」と、髪を切ってもらいながら聞いてみた。

たぶん50歳前後のその美容師、Hさんにずっとお世話になっているのには訳があって、
Hさんの話がすごくいつも魅力的なのだ。
山登りの話、沖縄の旅行、社会問題、インターネット、自然のこと、食べ物のこと。
本当に物知りだし、そして、静かな雰囲気の方で、
彼との時間が大好きでそこに通っている。

「あの人は、本当に海外で成功した数少ない日本人の美容師ですよ。3人くらいしかそういう人いないんじゃないかな。カリスマ美容師っていっぱいいますけど、彼が本当の意味でのカリスマ美容師でしょうね。」


そんなわけで、恵比寿ガーデンホールで行われたライブに行ってみた。

開場時間ちょうどに行ったが、長蛇の列。服装もなんか個性的な人たちが並んでいる。
美容師さんだったり、そのタマゴらしい。

そうか、火曜日に開催するのは、火曜日は美容院が休みだからか。

受付などのオペレーションはお世辞にも褒められたものじゃない。
わかりにくいし、はっきりしないし、徹底してないし。正直、頭に来た。

でも、ライブは僕にとっては最高だった。
すっげえかっこよかった、茂木さん。

近くの席の20歳前半の彼は、「オレ、爆睡しちゃった。つまんねえよね、これ」。

オレはすっごい興奮したけどね。

彼が口にしたいくつもの言葉で一番印象に残った言葉。

「僕たち、むちゃくちゃ練習してます。」

練習というのは、別に髪を切ることのような技術だけを意味しているのではない。
本を読み、映画を見て、うまい飯を食い、いっぱい遊び、いろいろな人と会う。
さまざまな経験を重ねる。
このことを美容師の「練習」と言っていた。

そういったたくさんの「練習」したことのほんの少しの部分が、
カットした前髪や横髪にちょこっと現れる。

でも、それがきっと練習している人としていない人との差になるんだろう。

来場していた半分くらいの人が、おそらく若手の美容師だったりそのタマゴだろう。
だから彼はそんなメッセージを投げかけたんじゃないだろうか。

だから
「boy は学校なんだよね。」
という言葉も出てきたのだろう。


飲食店を営んでいるMさんと、お茶をしたときに見せてもらった雑誌がある。
Mさんが「バーラジオ」というところで働いてたときに出された「別冊 太陽」。
表紙には「バーラジオは学校だ。」という大きな文字。

具体的にどんなことをしていたかは忘れたが、その雑誌をペラペラめくると小唄の練習をしているMさんの写真があった。
バーテンダーと小唄。

練習だよ、練習。

茂木さんがどんなすごい経歴を持った美容師さんなのかはやっぱりまだわからないのだけど、
かなりかっこいい人であることは間違いない。

練習練習。

そして全部の練習が本番。

2004年12月16日

夢と身体

朝からそわそわし、携帯電話に着信やメールがあるたびに、びくっとした。
緊張で胃が少し痛んでいた。
こんなこと珍しい。

13時過ぎに吉報が届く。

なんとも言えない汗が身体の中で流れた。

夢と身体を壊さない程度にバリバリがんばります。

やるぜ。


詳しくは12月27日に報告します。

2004年12月22日

伊勢丹写真室で怒る母親

プロフィール用の写真を撮影しに行く。
以前、撮影したのは、まだ八重歯が2本しっかりある頃だから3年前くらいだろうか。
さすがにもうその写真は使えないので、撮り直し。

3枚目も2枚目に撮ってくれる伊勢丹写真室へ。

伊勢丹写真室には2種類あって、一つは予約して行くやつ、もう一つは予約なしで受け付けてくれるやつ。今回は、予約なしのほうに行く。

平日の昼間だが人は多い。

家族連れ。
振袖を着た娘と母親が数組。
おそらく大学受験を前に控えた息子と母親、願書用の写真だろう。
1人で来ている中年女性が数名。転職?見合い?
そして一番多いのが、リクルートスーツに身を包んだ大学生。就職の履歴書用の写真だろう。

受付を済ませて、ソファーで座って待つ。
1時間は待つかもな、と覚悟を決めて、カバンから「楽天の研究」を取り出し、読む。
もっとちゃんと書いてくれよ…。

黒いベルベットのドレスを着た20歳くらいの女の子とその母親。
さっきからその母親は時計をちらちらみて、ブツブツ言っている。

母親立ち上がる。

「もう何分待たせるのよ!写真なんてカシャって1分で撮れるじゃないのよ。何やってんのよ。」と受付の女性にクレーム。

おもしろいことになってきた。楽天の研究をカバンに押し込み、その様子を眺める。

「2時に大使館に行かなきゃいけないのよ。大使館。時間がないの。」

そのとき、1時50分。

「前の人、家族連れで何枚も何枚も撮ってるじゃないの、何なのよ。どうにかしてよ。言ってくださいよ、ちゃんと係りの人に!」

そして、
「ちょっとママ、伊勢丹に行ってくるから。あとどうしたらいいかわかるでしょ?あなた1人でできるわよね。大丈夫でしょ。」
「ええ、だって、私のコートとか服とかどうするの?荷物もあるし。」
「いいからちょっと行ってくるから、携帯に連絡ちょうだいね。」

と母親は娘を1人おいて出かけるのかなと思ったら、その母親は驚いたことに、撮影中のスタジオの暗幕を開けて、

「あんたたち、さっきから何分撮影してんのよ。こっちは待ってんのよ。1人1人撮影なんてしないでよ。」
「娘はね、さっきから撮影のために、表情つくって待ってんの。こんなに待たされたら表情も崩れるわよ。表情つくってんのよ、撮影のために。わかる?!表情つくってんの。」

1人残る娘さんの表情が曇る。

そして母親はどこかへ行ってしまった。

それからすぐに、怒鳴り込まれた家族がスタジオから出てきた。
お父さんは笑っていた。

そして恥ずかしそうにして、表情を曇らせたまま娘さんが1人でスタジオに入る。
5分も経たずに娘さんが出てくる。
着替えのために更衣室に入る。

2時10分

母親が戻ってきた。

「ねえ、この携帯電話、どうするの?使い方がわからないのよ。どうしたらいいのかしら。メニューって押すの?ねえ、教えてよ、あなたわからないの?」

忙しそうに働く受付の女性を捕まえて携帯電話を押し付ける。

「すみません、こういう機械にまったく疎くて」

すばらしい切り替えし!!合格点。

「もう、わからないわ、どうしたいいのよ。大使館に行かなきゃいけないのよ。」

更衣室に近づき、いきなりドンドンドンとドアを叩く。

(娘以外の人が入ってたら、どうすんだ?)

「ねえ、開けなさいよ!携帯電話がわからないのよ。どうすんのよこれ、わかんないのよ!開けてよ!!」

「着替えてるのお!」

「いいから、開けなさいよ、わかんないのよ。」

少しだけ更衣室のドアが開く。
娘さんが何かの操作をしたのだろう。更衣室のドアが閉まり、母親は電話をどこかにかける。

「話し中になるわよ!どうしたらいいの、これ。わからないのよ、使い方が。なんで話し中になんかなるのよ。」

また更衣室のドアを叩き、娘に携帯電話を渡す。
どうやら電話を使うのは諦めたらしい。

ソファーに腰掛け、黙り込む母親。
そこに受付の女性が「お待たせしてすみませんでした。」とお詫びをする。
母親はそれを無視。

少しして娘が更衣室から出てきた。

「ああ、2時15分!!2時に行かなきゃいけないのよ。大使館に!」

2人は写真室を出た。


本当に彼女は、娘のために怒っていたのだろうか。

コントロール不可能なことを、コントロールしようとしないこと。

コントロール不可能なものに、感情をぶつけないこと。

コントロール可能なものだけに集中すること。

笑っているビル

六本木ヒルズ49階の会議室からの夜景。

どこのビルだかわからないけど、笑っているビルが一棟ありました。

CIMG4905.jpg

2004年12月26日

餅つき大会

盛り上がった。

最終的に30人以上の人が出入りして、餅をついてくれた。

いろいろな人が集まってきてワイワイと餅つき。おもしろい、こういうのは。

小さい頃、何度かばあちゃんの家とかで臼と杵で餅つきをした記憶がある。
大きな木の臼だった。
あんな臼がいいなあと思っていたが、借りれたのは石の臼。

レンタル会社のサイトに載っていたマニュアル(?)を参考にしながら、見よう見まねで準備。

うまい餅がつけました。
4升ついたけど、すっかり全部きれいになくなった。
お土産がある予定だったのが、その場で食べきったというのはすごい。

ただ、もし笹崎さんがいなかったらどうなったことやら。
彼の実家は毎年餅つきをしているとのこと。

餅つきみたいなのは毎年やって、親から子どもへと引き継ぎたいもののひとつだなと実感。

今回の持ちつきで一番困ったのは、開催場所。
実家のほうだと、家の前の道路とか庭とかいくらでも出来る場所はあるのだが、
都内のマンション住まいだと、餅つきができる場所がない。

公園を借りてやるのも何かと面倒だし、だからといって道路でやるわけにもいかない。
最終的には、マンションの駐車スペースの一角を借りてやらせてもらった。

「できる場所がないからやらない、諦める、廃れる」というのがわかった。

スペース重要。
スペースがないと、行動と思考が限定されてしまう。

餅つきが一段落した後は、いつものように夜まで飲み食い。

いい仲間たち。


「地域」はあるものじゃなくて、つくられていく/つくっていくものなんだな。


アソブ研レポート 「日本の風物詩、モチつき大会でアソブの巻」

2004年12月27日

発表の日

大倉山で東横線が停まった。
横浜駅で人身事故があったとのこと。
14時までには写真を届けなくてはならない。
少し焦る。
とりあえず、電車を降り、駅の改札を出るものの、タクシーがなかなかつかまらない。

「カネコって大倉山に住んでなかったか?」と思いながら、少し歩くとタクシーがつかまった。

無事、14時前に到着。

副校長候補者の方と初対面。
緊張した。
これからのパートナー。
長い現場経験も含めて、僕にないものをたくさん持っている人。
正式発表後すぐに会えたのは最高にうれしかった。

やっぱり1人と2人とでは全然違う。

そのまま校舎見学に行く。

新しい校舎。
ゆったりとしたスペース。
机も椅子も人気もない教室。
ガラスで部屋の中がスケスケの教職員室と校長室。
校舎の中を見学するとイメージが沸いてくるかなと思ったら、全然ダメだった。

やっぱり人の顔が見えないとダメだ。

今一番したいのは、とにかく一日も早く人に会うこと。

一緒に働く先生や職員。
保護者や入学予定の生徒。
地域の人。
分離する親校や学区の小学校の校長先生や担任の先生。
大量のコミュニケーションが欲しい。

だって、僕が一人でやるのではなく、チームでやるのだから。

年末年始の休みが恨めしい。

2004年12月28日

ひがしやま「た」

その部屋に入ったタイミングがよかった。
仕事納めのワキアイアイとした雰囲気。

突然のご指名で簡単な挨拶。

その後でこっそり教えてくれた人がいた。

「東山田は、ひがしやま『た』ですからね」

ずっと、ひがしやま『だ』と思っていた。
地元の方と交流する前に、「だ」じゃなく「た」と知れたのは意義が大きい。

ご指摘ありがとうございました。


その後、横浜に移動して飲む。
飲みにケーション、大切です。

少しずつお互いのことを知り、周囲のことを知っていく。
知ったからどうってことじゃないけど、知るプロセスとその時間の共有に意味がある。

でも、体も動かさねば。
太りそう。

2004年12月29日

ご連絡

12月27日の blog にコメントを下さった「mama」様、「近隣校職員」様。

もし可能であれば直接メールをお送りしたいので、ぜひメールアドレスを教えてください。
info@onbetsu.com にメールを頂ければ幸いです。

1組第1回同窓会

雪だ。
東京にしてはけっこう降っている。

今年の夏に2週間近く一緒に過ごした高校生1,2年生が10数名、今日我が家にやって来る。

北は北海道旭川、南は熊本と佐賀。

交通機関、大丈夫かな。

2004年12月30日

4ヶ月と19日ぶり

久しぶりだね、と声をかけると、すかさず
「4ヶ月と19日だよ。」
という答えが返ってきた。

18人の高校1,2年生と再会。

夜ご飯の買い出しをする部隊がまず集まり、
その後、少しずつ人が増えてくる。
10人前後の参加かなと僕は予想していたのだが、
欠席は4名+SA1名と聞き驚く。

それに加えて外は雪。
急きょ、毛布を6枚借りる。

まずは再会を喜び、そしてディスカッション。
テーマは高校生が自分で設定。
「教育」についてという大枠が幹事から提示された。

「最近、地元の若い子たちのモラルが低くなっている。もっと校則とかのルールを厳しくして、しっかり教育すべきじゃないか。」というタロウの言葉を振り出しにして、ディスカッションの中心は「ルール」となる。

高校生にとって身近なルールはやっぱり校則。

校則にまつわる先生とのやりとなどから、教育って何だ?という議論にもなる。

車座のディスカッションはあっという間に2時間30分が過ぎた。

部屋に戻り、夕食の準備。

おそらく初めて見るまとまった数の高校生にモユは少しおびえるが、コタロウはすぐに溶け込み遊んでもらっている。

どうやら今回は「男の手料理」となったらしく、食事の準備は男性陣が担当。
我が家の台所に6人の男衆が慣れない手つきでうごめく。

キムチ鍋、鶏のつみれ鍋、おでん。

「キムチ鍋に甘さが足りない」と
「ファンタグレープ入れてみようぜぇ!」というあたりは、ご愛嬌。

みんなでイタダキマス。久々だ。

夕食の後は、ビンゴ。本か特産品を持ち寄り賞品にする。
大人びた本と高校生らしい本に、金山寺味噌、盛岡冷麺、明太子プリッツが混じる。

21時30分に2名が帰宅。残りは、リビングで雑魚寝。

夜遅くまで語ったり、子どものおもちゃで工夫して遊んだり。
さすがに午前3時で僕はダウン。

朝、起きると半分は毛布に包まり寝、半分は元気におきていた。

おにぎりに、鮭を焼き、漬け物で朝食。
ご家族から送られてきた大きな梨とリンゴも一緒に。
用意していた紙コップもこの頃にはなくなり、飲み物はペットボトルを回し飲み。

朝はまったりとした時間を過ごし、全員で写真を撮り、10時前に解散。

ぽつんと最後に残ると、やはり寂しい。


この子達との出会いは、本当に強烈な出来事だった。

10年後、2014年には絶対に福岡県宗像市のグローバルアリーナで全員で会いたい。

一人ひとり10年後の姿。


貴士、量自、たろう、あゆむ、ゆう、田口くん、亮平、れん、千紘、かおり、りえ、すずこ、えみ、えみり、かなこ、かおる、ゆかり、炭酸少年。来てくれてありがとう。エネルギー、もらった。
プレゼントしてもらったネクタイは、開校式にしていきます。

とも、総理、なおと、ゆきこ、10年後、楽しみにしてる。

ノナ、まずは退院目指して、しっかり病気治せ。


未来に向かう仕事だ。

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2004年12月31日

2004年 5大ニュース

毎度のことながら、いろいろあった1年だった。

年越しは結婚して3回目。
初めて家族全員で迎えられそうだ。

一昨年はモユが、昨年はあやこが入院。
年末年始は病院にお見舞い通いだった。
なんとか今年は誰も入院することなく4人そろっての年越し。
感謝感謝。

2004年の出来事を印象深いものから5つ選んでみた。

5位 次世代リーダー養成塾に参加

夏に14日間、高校1,2年生179名とともに過ごした。
1組22人の担当をした。
ここで出会った高校生たちとの関わりは、一生もん。


4位 東京女学館で講座実施

ご縁があって4月から東京女学館中高で定期的に講座を実施。
2種類の講座を行ったが、定期的・継続的に中高生と関わるはじめての経験。
ここから学んだことは多かった。
3学期にあと6回。


3位あやこ、右肘骨折

5月6日。
祖母のお見舞いのため帰省しようと羽田空港に向かう途中で、
「転んで、腕とあごを打った。」
との電話。

まあ、大丈夫だろうと、とりあえず飛行機に乗り、釧路空港へ。

その後、右肘骨折の診断…。

モユ1歳半、コタロウ2ヶ月半。
どうなることかと思ったけど、どうにかなった。

おかげでダイニングテーブルの足が短くできた。
これで友達が遊びに来たときに便利便利。


2位 東山田中学校の校長に内定

とにかく、やります。


1位 コタロウ、誕生

2月27日、第二子、長男誕生。
これに勝る出来事はありません。

まあ、いい年でした。
2005年はもっといい年になります。

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