« 2004年8月 | メイン | 2004年10月 »

2004年9月

2004年9月 3日

北海道のチョコレート

札幌で講演。

北海道のチョコレートと言えば、
六花亭のあのふきのとうの包装紙のホワイトチョコレートだった。
ホワイトチョコレートかモカがお気に入りで、
時々レモンとかも買っていたし、それをお土産にしていた。

でも、もう買いません。
北海道のチョコレートと言えば、ロイズのチョコになっちゃいました。

ただ、六花亭のマルセイバターサンドは買う。
あと、六花亭のストロベリーチョコも買う。これはウマイ。

レジに並んでいる人のチョコも、ロイズかストロベリーチョコだった。

あの懐かしい雰囲気の包装紙のチョコは、やっぱり販売量激減なんだろうか?

本当は一番好きなのは、六花亭の大平原なんだけどね。

2004年9月 4日

違和感

札幌で「わたしの仕事 わたしの会社」というタイトルで講演。

テーマ的に仕事観や人生観ということになるのだけど、
話しながら自分自身のことが妙に気になる。


ヤマケンや加賀谷、カネコとかを見ていると、いいスタイルの仕事してんなあ、と思う。
いや、実際、仕事してんのかどうかしらないけども、まあ、きっとやるときは、いい感じで彼らは仕事するだろうな。


移動が多くなって、その移動時間を有効に活用しようとしているけどもやっぱり移動はムダだ。
どう考えてもオレにとっては無駄だ。
今日のような不定期の移動は楽しい。
定期的な移動はオレ向きではない。


かといって、生活拠点を「仕事」のために移動するのは、やっぱり御免だ。
トライしたけど、やっぱりダメだった。

より良く生きるために生活拠点を動かすのはOK。
仕事のための転居はNO。
これは絶対に譲れないんだな、と最近気がつく。


何日か前に実家から野菜が届いた。
家の横にハウスをつくったとのこと。
そのわりには、かなりの種類の野菜。
どれも色が濃く、おいしい。
別に野菜をつくるのは、母の主たる仕事じゃないだろうが、なんかいい仕事だなあ、と感じた。

なんで自宅で食べきれないくらいの野菜をつくるんだろう?


数日前にたまたま寄った本屋で「軽井沢スタイル」という雑誌を見つけた。
タイトルは「ファーストハウスを軽井沢に!」。
別に田舎暮らしには憧れはない。(人生の半分以上、田舎に住んでんだから…)
雑誌に書かれているほど、現実は甘くはないし、冬の寒さは厳しいはず。
薪ストーブなんて、カッコいいけど、毎日それだと思うとゾッとする。

でも、新幹線で東京まで一時間か…、と思うと、ちょっと真面目に雑誌を読んでみた。


「仕事」のスタイルを変えてみて約2ヶ月がたつ。
いろいろな変化が身の回りには起こる。
そして、それに対する違和感が僕の中で起こる。

この違和感は大事にしないとな。


何を大切に生きるのか?

時間が流れて行くのか。
それとも、僕が歩いて行くのか。

2004年9月 7日

おねだり

1歳9ヶ月の姉がベッドで眠そうに、
「パクパクして」と、
6ヶ月の弟におねだりをしている。
どうやら指をなめて欲しいらしい…。

歯がないから気持ちいいんだろうなあ。

小学生の頃、祖父母の家で、
生まれたばかりの牛の子の口の中に手を入れたことがあるけど、生暖かかった。

2004年9月 8日

エロ本友達

高校時代の同級生と飲む。

どこに何時に集まるかも今日の午後まではっきりしていなくて、
そして集合時間は決まったはいいが、そこに誰が来るかわからないままの飲み会。

結局、4人が集まり、恵比寿で飲む。

そのうち一人は、高校卒業以来の対面。
恵比寿駅で彼と待ち合わせしたのだけど、「おー」の一言と握手で劇的な再会シーンは終わり。
あとはたんたんと店探し。

その後、二人が合流。
別に何事もなく、ただ話し、食べ、飲む。

4人とも3年間寮生活。

男子校男子寮で、同じエロ本をシェアする仲だったわけだ。
実際に同じエロ本をまわし読みしていたかどうかは別にしても、まあ、そんな友達だ。

高校1年生のとき100人部屋の大部屋だった僕らは、
溢れんばかりの性欲をトイレの個室で発散させていたわけだが、
そんな僕らは4人とも今となっては父親。

話題は、女の話ではなく、自然に子育ての話が中心になる。

僕らも成長したなあ、やっぱり。

2004年9月12日

いくらの醤油漬け

実家から、鮭の腹子がそのまま送られてきた。
腹子の大きさから推測するに、かなり大きな鮭のもの。

電話で醤油漬けの方法を教えてもらい、初挑戦。

ボールに塩水をつくり、
荷物に同梱されていた餅網で、腹子を擦り(?)ばらす。
粒が潰れるんじゃないか?と思ったけど、案外強いもんだ。
どんどんポロポロとれていく。
これで、イクラ状態になる。

ザルにあげて、30分間水を切る。
その後、醤油にイクラをつける。
母の指示では2~3時間。

念のためと思って1時間30分で味見をしてみると、けっこう塩辛い。

最初の塩水が塩辛すぎたか。
あわててそこでザルで醤油を切り、
保存容器に入れる。

つながっている状態からイクラ状態にするのに、餅網使うのを最初に考え出した人は偉い。
それに、わざわざ筋子じゃなくて、イクラにして食べようと最初に思いついた人も偉い。

そんなわけで、イクラの醤油漬け、マスターしました。

あー、写真撮っておけばよかった。

2004年9月20日

秋刀魚の会、子どもの日

19日。

実家から、大量の秋刀魚、鮭、イクラ、メヌキ、トウモロコシなどなどが送られてきたので、いつもの仲間に声をかけて、秋刀魚の会を開催。

まずいかなあ、と思いつつもベランダで炭火で秋刀魚を焼く。
当然、美味い。

メヌキは開いて、塩を振り、日陰で干して干物に。
干物づくりは初挑戦だったけど、これが簡単でしかもうまい。

その他、秋刀魚ご飯、チャンチャン焼き、スペアリブの煮物などなど。

どーっと食べて、どーっと飲み、わいわい話をし、あっという間に時間は過ぎる。

年齢の違う子どもが集まり、その遊びをじーっと眺める。
ときどき、それぞれの親がそれぞれの子を叱ったりする。
叱るタイミング、叱り方に各家庭が現れて楽しい。

でも、やっぱり他の家庭の子は叱らない。
まあ、なかなかそれはオレもできない。


小学校4年生頃のこと。
幼馴染のシュンがうちに遊びに来た。
シュンは2階の窓から屋根に降り、
どたばたどたばた屋根の上を走り回っていた。

「絶対にお父さんに怒られるぞ」と思っていたので、
ぼくは真似せず見ていた。

案の定、1階から父が激怒してやってきて屋根の上にいるシュンを捕まえた。
何をしだすかと思ったら、彼を抱きかかえて、
「ここから叩き落されたいのか!」と屋根から放り投げようとした。
真剣に彼は怒鳴っていた。

「あ~、もうシュンはうちに遊びに来てくれないだろうなあ」とそのときは思った。

あれから25年くらい経ってるんだろうが、シュンは僕がいなくても実家に遊びにきて、
放り投げようとした父と飲んだり、僕の弟と仲良くやっている。

20日。

あるお店で定期的に開かれている「子どもの日」に久々行く。

普段は子ども連れでは絶対に入れないお店なのだが、
特定の日に特定の人向けに、「子連れで来て下さい」をしてくれている。

すてきなお店なのだ。

コタロウは、タマネギの冷たいスープだけを頂いたが、かなり満足して飲んでいた。

モユ以外の二人の子どもは年上の男の子。
遊ぶおもちゃは車だったり、デカレンジャーの変身セットだったり。
やっぱり男と女は興味を持つものが違う。

モユは、黄色とオレンジのボールが気に入ったのだが、
どうしてもオレンジのボールを見て「ミドリ」と繰り返していた。

本当にすべてにおいて丁寧なお店なので、ここに来るのは楽しみだし、
こういう味で育つと、繊細な子になるだろうなあ、と思う。

他の家庭の子どもを褒めることはよくする。
でも、やはり叱れない。
それはある意味「どうでもいいや」と思っているからだと思う。
所詮、「他人事」なわけだから。

ただ、この「他人事」の気持ちの万延が子どもに対して大人が無責任になっている表れだろう。
未来に対して無責任なのだ。

他人の子どもをしっかり叱ろう。

2004年9月26日

キャンプデビュー

然と鼓太郎がキャンプデビュー。

急きょ思い立ち、前日にレンタカーを手配し、
当日朝にキャンプ場に予約を入れ、出発。

環七で若干渋滞にはまる。
なんか忘れてるよなあと思いつつ運転していたら、
なんとダッチオーブン、スキレット、2バーナーのガスコンロを見事に忘れていた。

ダッチを忘れるとは…。

ついたキャンプ場は、人もまばら。
自然はしっかり残されていて、過剰に整備されてないのが、
子連れキャンプにはちょうどいい。
本当は、神奈川の南清津峡キャンプ場(まだここあるんかな)とか、山梨の四尾連湖が最高なんだけど、まあ、そのうち行けるだろう。

然は、驚くほどキャンプを楽しめたようで、火などもまったく問題なし。
一度だけ、数分間行方不明になったが、ひょこっと茂みの影から姿を現した。
今回のキャンプで車の運転席が気に入ったらしく、
停車中の運転席に座っては、ワイパーを動かしたり、ハンドルを回そうとしていた。

鼓太郎は、おそらく全身40箇所は蚊に刺された。
顔は左側を集中的に。
あまり腫れなかったが、プツプツと刺された痕が目立つ。
ハイハイしたい時期なのに、外ではほとんど抱っこだったのはかわいそうだった。
まあ、彼も来年の今頃には、一人でどんどん歩き出していることだろう。

幼い頃から夏休みといえばキャンプだった。
ほとんどの場合は、海や湖だった。
思えばそこから学んだことは多く、今も普段の生活に活かされている気がする。

今回荷物を用意していると、かなりの大荷物になってしまった。
昔は家族5人分の荷物をパッキングして、よくあの車に詰め込めたよなあと不思議に思った。
でも、たぶんキャンプの最中は、日中は、海水パンツ一枚、夜はそのままTシャツ。
そしてそのTシャツを何日も着ていたよう気がする。

荷物はやっぱり少ないほうがいい。
そのほうが、カッコいいのだ。

然は、何かあると歌っている。
鼓太郎も下の歯が二本生えてきた。

二人は今回のことを覚えているだろうか?

次のキャンプは何が起こるだろう。

アーカイブ