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2003年4月

2003年4月 1日

エイプリルフール

4月1日、エイプリルフール。

発言、会話、Webサイト、ラジオなどなど、いろいろなところでウソ(?)に出会った。

ウソをつくのってセンスが必要だ。
考え方、主義主張、ものの見方、感じ方、大事にしていること、余計だと思っていること。
その人のヒトトナリが見えてくる。

2003年4月 2日

買うか、買わないか

買い物の決断はかなり早いほうだ。
10円でも10万円でも、「欲しい」「必要」と思うと10秒で決断できる。

それができないものが最近あった。
ICレコーダー。

1ヶ月くらい迷っている。

でも、今日、ついさっき買うことを決めた。

外で飯を食いながら3つのアイディアを思いついた。
「会議体の運営」「リソース管理」「右左」。
たった3でも、食事をしながら忘れそうで心配になっていた。
荷物は預けてある。手元にメモはない。

何回もアタマの中で繰り返す。でも、忘れそう。

お店の人にお願いした。「紙とペンを下さい。」

携帯電話はいつもポケットに入っているから、
それに録音するというのも手かもしれない。
でもできなかった。

なので、さっきICレコーダーを買おうと決めた。
買うならSONYのICD-S3にしようと前から決めていた。

なので、買う。決定。

2003年4月 3日

デニーズでのミーティング

何年かぶりにデニーズでミーティングをした。
メンバーは大学生3人と僕。

デニーズのメニューの表紙は、美術大学の学生の作品だった。
コーヒーがテイクアウトできるようになっていた。
「いらしゃいませ、デニーズへようこそ。」という台詞は昔のままだった。
湘南台駅の上にデニーズができるなんて10年前は想像もしてなかった。

来週から、毎週木曜日は湘南台を通過する。

2003年4月 4日

ミルクを飲む然

然(4ヶ月)にミルクをあげながら思ったこと。

彼女は集中してミルクを飲むときには目をつぶる。
100cc飲むのに、だいたい30分くらいかかる。

鼻呼吸をして、同じ味のミルクを30分間ずっと飲み続ける。
大人にはできない芸当。
でもどの大人もかつて経験した芸当。

目をつぶって、30分間、鼻で呼吸。黙々とミルクを飲む。
ある種の瞑想状態になってるんだろうか。

2003年4月 5日

花見

久々の冷たい雨。風も強い。

予定していた花見は家の中で。

シートを床に敷き、テーブルの足を折り3つ置く。
そこに持ち寄った料理と酒を並べて、乾杯。

小さい頃、家でこういうのってよくやったなぁ。

2003年4月 6日

ロボット

明日2003年4月7日はアトムの誕生日。

家族3人で、ROBODEX 2003 に行く。

ホンダのASIMO、ソニーのSDR-4XII、テムザックの番竜などのロボットを
初めて肉眼で見た。

第一印象は「やわらかい」。
歩いている、手を振っている、踊っている。動きがやわらかい。

技術に触れて、純粋に「すごい!」と久々に感動した。
アトムはきっと生まれる、と信じられた。

「ロボット工学の三原則」

第一条  ロボットは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。

第二条  ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第一条に反する命令はこの限りではない。

第三条  ロボットは自らの存在を護らなくてはならない。ただしそれは第一条,第二条に違反しない場合に限る。

「わたしはロボット(原題 I,Robot )」 アイザック・アシモフ著 創元SF文庫 1940年

ASIMOと記念撮影
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階段をのぼるASIMO
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2003年4月 7日

散る桜

桜が散り始めた。

今日みたいな天気のいい日に散りながら風に吹かれて落ちて、
地面に片寄せあってるのが、桜の姿で一番好きだ。

教育関連の記事

「教育関連の情報をどこで手に入れてますか?」という質問をもらうことが多くなってきた。

僕が利用しているのはもっぱら読売新聞のWebサイト。
ここが一番充実していると思う。

読売新聞 教育新世紀

2003年4月 8日

小泉さん

小泉さんと夕食。

知り合ったのは7年前くらいになると思うが、
ちゃんとお話をしたのは、これがはじめて。

にこやかな笑顔で、ずしりとした質問をどんどん投げかけられる。
「いくら?」
「何人?」
「広さは?」
「それで十分?」
「それ以外の方法は?」
「調査したの?」
そして、
「大丈夫だよ、行けるよ!」

明るい雰囲気のよさと押しの強さ、それでいて丁寧なコミュニケーション。
ファンになりました。

2003年4月 9日

任せられたとき

「お前に任せたよ。」と上司に言われたら、まずどのように思うか。
3つのタイプに分けてみた。

「任せた」と言われた状況、その上司の姿勢、組織の形態によっては
このタイプがあてはまらない場合も多いかもしれないが、
なんとなくこの3つが大きなタイプだろう。

(A)戸惑う。
   「お前に任せた!」
   「えぇ、どうしたらいいんだよ…」 

(B)嫌がる。
   「お前に任せた!」
   「まじで、仕事が増えるじゃんか、まったく」 

(C)喜ぶ。
   「お前に任せた!」
   「やった、任せてくれるんだ!」 

いつも「やった、任せてくれるんだ!」と思えたら、ハッピーだろうなあ。

なんだか、欽ちゃんの良い子悪い子普通の子みたいになってきたな…

2003年4月10日

初講義

慶應義塾大学での講義がスタート。
全14回。1回1時間30分。

1回限りの講演とはまた別の緊張感。
終わったあとは、さすがにぐったり。

この講義で目標にしていることは「出席率」。
とにかく学生に講義に出席してもらうこと、まずこれを大事にしよう。
出席しないと損と思ってもらえるような、講義内容にしないといけない。

こっちは真剣勝負。
あとはいかにして相手を真剣に向かわせるか。
それが力量。

キャンパスは春まっさかり。
初々しい香りがします。

2003年4月12日

おかしな夢

目が覚めたとき、思わずニヤッと笑ってしまった。
なんでこんな夢、見るんだろう。

場所は、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)Ω館のホール。
学生がスケッチブックをもってデッサンをしている。
その中央には小さな舞台。
ポーズをとっている中年男性二人。
熊坂先生と千代倉先生…。

「何やってるんですか?」と熊坂先生に質問。
そうすると熱い語り口調で答えてくれた。
もちろんポーズはそのままで。

「SFCが創設されるときに、改革のポイントが具体的にまとめられているのを発見した。
でもほとんどが実現できてない。だから僕は、もうごちゃごちゃ考えたりせずに、
そこにリストアップされているものを、とにかくひとつずつやるんだよ!
そう、とにかくやるんだ!」

その具体的な改革のポイントの1つが、
「学生のデッサンのモデルに教授がなること。」
と書かれていたのだ。

よくわからない。
金曜日に熊坂先生からメールが届いたのが原因?

2003年4月13日

10km走りながら考えたこと

第21回横浜ロードレース、10kmコースに参加。
10km走るなんて、高校2年生の速歩遠足(26km)以来。

7km過ぎたところで、左膝が痛み出し、そこからは歩いたり走ったり。

走りながらいろいろなことがアタマに浮かんできた。

スタートは団子状態、でもすぐに縦に長く伸びてくる。

あいつについていこう。あの人には抜かれたくない。
追ったり、追われたり。
前にもたくさんの人、後ろにもたくさんの人。
いったい自分はどれくらいに位置してるんだ?

そんなことも、そのうち気にならなくなる。
ただ自分自身の体の変化に集中する。

下り坂には要注意。勢いがつくけど、ちょっとしたことで転んでしまう。
上り坂はつらいけど、そこで歩くと、走り出すのがつらくなる。

時々隣の人の呼吸に気がつく。
そして、自分の呼吸に意識を向ける。
そこでまた身体の変化に集中。

7km過ぎたところで左膝が痛み出す。
そこで初めてトレーニング不足を痛感。
右膝が動くだけじゃだめなのか。

ゴールはあっけない。
もうたくさんの人が先にゴールしている。
でも、あっけないのはそれが理由じゃなくて、
この左膝のせいだな。

1時間4秒。
目標未達成。

マラソンを人生にたとえる話を聞くたびに、安易だなと思っていた。
10kmのレースに出てみて、たとえたくなる気持ちがわかった。

次は5月25日、スポニチ山中湖ロードレース。ハーフマラソン。
制限時間2時間30分。
左膝はどうなるか。

2003年4月14日

余韻

10kmを走った翌日、すなわち今日。

10kmのゴールなんてあっけないなあ、と思っていた。
ところがしっかりその余韻は今日の僕の身体には残っている。

この筋肉痛。
この膝の痛み。
足の指の水疱。
顔の日焼け。

案外しっかり刻み込まれてるじゃん。

これをいつまで忘れずにいられるのか。
それが次ぎの21kmにつながる。

2003年4月16日

石垣島のうちわ式扇風機

数週間前に石垣島のバーで飲みながら考えたこと。

そのバーの天井には、おもしろいものがついていた。

うちわが15個くらいならんで、それらが左右に自動で動いている。
風なんて来ないんだけど、涼しい気分にはなる。

何杯目かの泡盛をロックで飲みながら、
「扇風機」と「うちわ」、どっちが効率がいいんだ?と考えた。

扇風機は、自分で動かさなくてもいい。黙っていても風が来る。
しかもある程度一定に。一度に数人の人を涼しくしてくれる。
でも、けっこう風の向きは限られている。そして携帯できない。

うちわは、自分で扇がないとだめ。これは他人にやってもらっても涼しい気分にならない。
扇ぐと疲れる。まあ、1人を涼しくするのが限界。
ただ、好きなときに、好きなだけ、好きな部分を扇げる。携帯もできる。

当然のことながら一長一短。どっちが効率的とは言い難い。

でも、あそこのバー、おかしなうちわ式扇風機を天井に取り付けるくらいなら、
うちわをお客さんに一つ一つ配ってほしいな。
うちわで扇ぎながら泡盛飲むって、なんかいいでしょ?

2003年4月17日

学生兼非常勤講師、そして学校づくり

玉川大学通信教育部から合格通知が届いた。
学生証が同封されている。
これがあれば映画も学割、定期券も学割、ソフトウェアも学割。すばらしい。

慶應での講義の第2回目。第1回目の課題を突破した29人の精鋭たち。
1時間30分の講義は、慣れていないのもあって、終わったあとはぐったりする。
普段の講演より、エネルギーが吸い取られる。
もっともっと講義スタイルに磨きをかけないと、90分間に緊張感がなくなる。
もっともっと改善しよう。
これが今、一番気になっていること。

学校づくり、一つおもしろい案件が浮上。これが、突破口になるか。
今年中に場所とパートナーを決める目標、達成できるかな。

焦らず、休まず。

下り坂は楽だけど、勢いがついて転びやすい。
上り坂はきついけど、いったん休んで歩き出すと、また走り出すのがきつくなる。

2003年4月18日

猛烈なメモ

ある会議に出席した。

そこに出席していたとある社長さんが猛烈にメモをとっていた。
刺激をうけて湧き出てくるアイディアを、どんどん書き留めている。
刺激的な光景だった。

その方の今日の言葉でピンと来た言葉2つ。

「人事はレイアウト。」

「忘れました、過去は苦手なんです。前を見て運転していますから。ハハハ!」

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然、39.5℃の発熱。さすがにしんどそう。突発性発疹だといいのだが…。

2003年4月19日

大きな虹だった。

夕方、雨があがった。

駐車場の整理員が仕事を忘れて東の空を指差してニコニコしていた。
飛行機雲でもあるのかな、と思って見上げてみた。

大きな大きな虹でした。
きれいな弧を描いていました。

こんなに大きな虹をみたのは、小学生の下校のとき以来だろう。
その頃、日記を詩で書いていた。その日は、その虹のことを書いた。

東に向かう車の運転手は、みんな空を見上げていた。
やわらなか表情でした。

虹、見ましたか?


山河

夢ヲ拾イニ山ヘイッタ

夢ハドコニモ落チテイナカッタ

山ノ向ウニ虹ガデテイタ

ワタシハ虹ヲポケットニ入レテ帰ッタ

虹ハツブレテイナカッタ

(榊 莫山)

東の空(2003/4/16 18:04 @マンション駐車場)
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西の空(2003/4/16 18:04 @マンション駐車場)
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2003年4月21日

音別町

降雪のため着陸できない場合は、千歳空港に着陸、
 ないしは羽田空港に戻る場合があることを予めご了承ください。」

羽田空港でのアナウンスを聞いた。
7時55分 羽田発 釧路行。
釧路は、雪が降っているらしい。

土曜日には虹を見てうきうきしてたのに、今度は雪か。

1時間半後、無事、釧路空港に着陸。

春特有の湿気のある雪が降っていた。

実家に到着。

AirH"がつながらない。
やっぱり p-in を解約しなきゃよかった。

実家の居間には、カレンダーが5つ壁にかけてある。
昔からのことだけど、どうしてこんなに必要なのかわからない。
かといって、時間にきっちりしている一家ではない。

去年の春に帰省したときと大きく違うのは、
家の中のいたるところに、父の大きな顔写真が貼ってあること。
正確に言うと、顔写真ではなく、選挙ポスター。

カラープリンターに特殊な紙で印刷したらしい。
まさかこれをそのまま外に貼るわけじゃ…、と思ったら、
やっぱり貼るらしい。

この雪で、そんなポスターで大丈夫か?

何はともあれ明日22日告示。27日投票。

ウグイス男の初体験。

庭には、3本の桜の木がある。まだ小さい桜の木。
去年の春、結婚のお祝いにと、地元の友達が贈ってくれた。

この桜の木が満開になって、みんなで飲めるようになるのが最高に楽しみ。

その前に、まずこの雪が止まないと。


故郷の音別町に戻ってきています。

2003年4月22日

雪景色

昨日の実家の前の様子。
見事に雪がつもりました。4月21日なのに。

ただ今朝起きたら、もう雪はとけて、今日はいい天気。

家の前、本当に何もないです。サッカーコートが6面はとれます。

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2003年4月24日

棚卸

なんか滞っていることが多い気がして、気分が悪い。

「やりたいこと」、「やっていること」、「やるべきこと」の書き出し、棚卸をしてみた。

気分が悪いのは、優先度が高いものが、緊急度の高いものに負けてしまっている
場合が多いのが、僕の傾向。

こまごました緊急度の高いものをやっているうちに、
優先度が高いものに手をつけられなくなっている。

まさに今回もそう。

さて、どうしようか。

2003年4月26日

うぐいす男

うぐいす男のお勤めも本日で終了。

一度、間違って自分の名前をマイクを通じて叫んでしましました。
申し訳ない。
まあ、同じ苗字だから、しょうがないよな。

明日が投票日。
あとは待つだけ。

2003年4月27日

祝当選

何はともあれ無事当選。
本当にたくさんの人にお世話になりました。
ありがとうございました。

ただ、当選は手段にすぎないわけで、これからが本番。
人口約2950名の町を、どう変えていくのか。
がんばってください。>父

2003年4月29日

コンバットデジQ大会

金子、小山さん、ヤマケンが家に来て、待ちに待ったコンバットデジQ大会。

16時集合、17時開始。
途中で夕食で1時間弱休憩。
終了時間23時。

燃えた。最高におもしろい。
遊び方は無限に開発できる。

夏には砲塔旋回型も登場。
これは買うしかない。

僕の戦車
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4台勢ぞろい
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戦闘台の上にて
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2003年4月30日

西田さん、宮澤さん、似顔絵

午後に西田さんと意見交換。
僕自身のルーツをアクノレッジメントしていただいた。
久々の快感。
自然と新しい考えも浮かび、それを表現していた。
感謝。

夜に宮澤さんと2年ぶりくらいで食事。
宮澤さんといっても、宮澤喜一さんではない。
以前、ここで「小泉さんと食事」と書いたら、
「すごいですね、小泉純一郎さんと食事ですか!」
というメールが届いた。
世の中に小泉さんや宮澤さんはたくさんいるのだ。

4年前に宮澤さんに話していたことが、今やっと少し前進している。
99年の秋にも僕は宮澤さんに「教育がやりたいんです!」と熱く語っていました。

昨日、ヤマケンが金子に似顔絵を書いてもらっていた。
なんか似顔絵っていいなあ。
俺もほしいなあ、ああいうの。

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