小学校1年生ながら、モユの知識量は多いほうだと思う。
彼女の読書量はすごいものなので、本から得た知識がほとんど。
そのほかにも、いろいろな場面で関わる大人との会話を良く覚えていて、
それが彼女の知識の3割くらいではないだろうか。
ただ、彼女と会話をして思うのは、それぞれの知識が、単なる点でしかないということ。
「覚えている、知っている」だけに留まっている。
あれも知ってる、これも知ってるというだけになっていて、
それぞれのことが関係づけられてない。
そうそう、それぞれの知識が、身体の10メートルくらい先で、ふわふわ浮いている感じ。
自分の中で検証したり、納得したり、合点がいったりしていなくて、
「どうやらそうらしい」「大人が言ったから、そうなはず」「本に書いてあったから」に留まっている。
ちょっとこれは勿体無い。
何が足りないか、何があれば、点と点が関係づけられるようになるか。
それはたぶん、経験や出会いだろうな。
あとは、試行錯誤にたくさんの失敗。
コメント (1)
大学生もそうだよ~!10メートル先ふわふわ、って、言い当てていると思う。
「経験や出会い」と、それを咀嚼する支援が必要なのかも。ひとりで点と点を結べる人もいる。それが自然にやってくることもある。でも、「経験や出会い」さえも、その場限りになるほどに情報や刺激が氾濫していると、意図的な咀嚼支援がないことには、意味づけが難しくなってるように感じるよ。咀嚼支援→自分自身で咀嚼する訓練→自分での咀嚼が習慣化、かね。最近そこここでスズメの親子たちがエサ取りをするのを見ながら、そのあたりの段階移行が見事だなと思う。
ヘレン・ケラーが、「流れ落ちる液体」を「water」というアルファベットの連続体が奏でる音と結びつける、というプロセスを支えたサリバン先生(「ガラスの仮面」内にある舞台の一部分を想像してますが)は、まさに点と点を結んだんだろうね。
投稿者: モモリング | 2009年6月29日 11:12
日時: 2009年6月29日 11:12