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2009年6月28日

点と点が関係づけられる時

小学校1年生ながら、モユの知識量は多いほうだと思う。

彼女の読書量はすごいものなので、本から得た知識がほとんど。
そのほかにも、いろいろな場面で関わる大人との会話を良く覚えていて、
それが彼女の知識の3割くらいではないだろうか。

ただ、彼女と会話をして思うのは、それぞれの知識が、単なる点でしかないということ。

「覚えている、知っている」だけに留まっている。

あれも知ってる、これも知ってるというだけになっていて、
それぞれのことが関係づけられてない。

そうそう、それぞれの知識が、身体の10メートルくらい先で、ふわふわ浮いている感じ。
自分の中で検証したり、納得したり、合点がいったりしていなくて、
「どうやらそうらしい」「大人が言ったから、そうなはず」「本に書いてあったから」に留まっている。

ちょっとこれは勿体無い。

何が足りないか、何があれば、点と点が関係づけられるようになるか。

それはたぶん、経験や出会いだろうな。
あとは、試行錯誤にたくさんの失敗。

コメント (1)

モモリング:

大学生もそうだよ~!10メートル先ふわふわ、って、言い当てていると思う。

「経験や出会い」と、それを咀嚼する支援が必要なのかも。ひとりで点と点を結べる人もいる。それが自然にやってくることもある。でも、「経験や出会い」さえも、その場限りになるほどに情報や刺激が氾濫していると、意図的な咀嚼支援がないことには、意味づけが難しくなってるように感じるよ。咀嚼支援→自分自身で咀嚼する訓練→自分での咀嚼が習慣化、かね。最近そこここでスズメの親子たちがエサ取りをするのを見ながら、そのあたりの段階移行が見事だなと思う。

ヘレン・ケラーが、「流れ落ちる液体」を「water」というアルファベットの連続体が奏でる音と結びつける、というプロセスを支えたサリバン先生(「ガラスの仮面」内にある舞台の一部分を想像してますが)は、まさに点と点を結んだんだろうね。

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