さて、5月7日のモユの「なぜ、イチ、ニー、サンなの?」であるが、
大人の知的好奇心をうまいこと刺激してくれた。
発問がいいというのは大事なことだ。
いろいろ文献を調べようとしたが、いまいちほしい情報が得られない。
そこでライブラリアンに相談。
さすがです、見つけてくれました三枝さん。感謝!
「数」の日本史 (著者: 伊達宗行 出版社: 日本経済新聞出版社)
なんと帯にはこう書いてあります。
「ひい、ふう、みい」から「いち、に、さん」、 そして九九、和算、西洋数学へ…。
「ひい、ふう、みい」のほうが先だったんですね。
まえがきを引用します。
本書の構成は、日本人と数のかかわり合いを、時代区分にしたがって八章立てとする。第一章では、少し明らかになってきた縄文時代における計数に十二進法の影があるとの指摘から始め、「ひい、ふう、みい」で始まる古代数詞が、日本語の成立過程といかに連動しているかが焦点となる。そしてこれに第二章で示す大陸数文化がどのような形、内容で流入し、それが、「いち、に、さん」式の現代数詞を生み、律令国家を支え、「古事記」「日本書紀」「万葉集」などに痕跡を残したかが第三章の主題となる。強烈な渡来文化熱が一段落した平安初期から鎌倉、室町と続く日本史には、数文化の影はよく見えない。しかし、日本人の数感覚はこの時代に醸成されていることを明らかにするのが第四章の命題である。そしてその開花が第五章で示す、寺子屋の算術教科書「塵劫記」の出現に象徴される江戸庶民の数文化である。これを背景としたわが国最初のサイエンス、和算が第六章の主役である。
第七章のテーマは日本が直面した最初のグローバリゼーション、明治維新前後に発生した数文化の革命、和算から洋算へ、である。その激動を追いながら、主題を初等数教育の変遷にしぼる。黒表紙、緑表紙と呼ばれた国定教科書時代、そして戦後教育に移行した昭和中期に、算術あ算数になったところでこの章を終える。
最終章は戦後の数教育から始まるが、ここからは史的評価のいまだ定まらない領域に入る。読者のお叱りを受けるかもしれないが、若干筆者の主観的論調も現れる。教科書が国定から検定へと移行したことの功罪、今日の理数科離れと学力低下にどう対応すべきか、そして二十一世紀の数常識がいかにあるべきか、願望も含めて本書を閉じる。
ね、おもしろそうでしょ?
さて、これを読んでちゃんと彼女が理解できるように説明できるのだろうか。