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2007年5月

2007年5月 1日

子どもの本の分類

お世話になっているウサミ木工さんから、新しい本棚が近々届く。

もゆちゃぶ」に続いて、今度は「鼓棚」。
そうコタロウの本棚だ。

この本棚は、「取り出しやすい棚」をコンセプトにラフなデザインを僕がやり、細かな設計をウサミ木工さんにお願いした。
詳しくは、鼓棚が届いてから、また別途。

さて、つらつらと絵本や子どもの本の整理を考えている。
どうやって分類しようか。

ざーっと今ある本をざっくりと分類してみると、


1)もじとすうじ(辞典、事典、数字)
2)ふしぎ(自然科学、図鑑)
3)ひと(伝記)
4)ものがたり(物語)
5)できごと(ノンフィクション)
6)つくる(工作関連)

かなあ。

まあ、並べてみると、また見えてくるでしょう。

ウサミ木工さん、いつも甘えてばかりですみません!お忙しい中、数々の我侭、すみません。

2007年5月 3日

多摩川河口で潮干狩り

しらい家に誘っていただき、多摩川河口で潮干狩り。
目指すはシジミ。

小さいころ、パシクルの沼でシジミとったなー。
去年の5月は、今の2年生と富津に潮干狩り、行ったんだよなあ。

さて、場所はこの辺
上空には飛行機が飛び交う。

この辺り、数年前まではゴミがすごかったそうです。
上流で川をきれいにする努力をした結果、そこそこきれいになり、こうしてシジミをとったり、
魚釣りしたり、水鳥観察したりできるようになったとのこと。

やっぱり上流からですか、何事も…。

光景
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成果
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勇姿
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優雅な、もしくはチキンな二人
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2007年5月 7日

イチ、ニー、サン

お風呂にて。
モユとの会話。

「ねぇ、なんで数字は、イチ、ニー、サンって読むの?」

「え?それはどういう意味?」

「だから、なんでイチ、ニー、サンって数字は言うの?」

「んー、それはすごくいい質問なんだけど、すごく難しい質問だね。今、わからないから調べておくね。それで、なんでそんなことを考え付いたの?」

「モユはね、いっぱいわからないことがあるから、わかるようになりたいんだ。」

「おー、それはすごく大切なことだ。そういう”わかるようになりたい”っていう気持ちを、コーキシン、って言うんだよ。好奇心が、成長につながるんだ。成長の意味はもうわかるよね?」

「ひとつひとつ大きくなるってことでしょ。」

「そう、そのためには好奇心が大事なんだよ。」

「わかった。だからちゃんと教えてね。」

おそらく最近のお気に入りの絵本が、安野光雅さんの「はじめてであうすうがくの絵本」だから、こんな質問をしてきたんだろうか。

この好奇心というやつをふくらませ続ける方法が、いまいち具体的にまだわかってないのです。
それがつかめれば…。


さて、数字の読み方、何をどうやって調べようか…。
このあいだ、子ども用の国語辞書を買ったんだけど、それにも出てないだろうなあ。

寮飯

日帰り函館。
朝、保育園に子どもたちを送り、羽田空港へ。
函館滞在、約3時間。
とんぼ返りで、保育園にお迎えへ。

お昼ごはんは、寮飯をいただく。
この、のびのびのスパゲティーがなつかしーねー。
僕らが高校生のころより、はるかにおいしくなっている気がするけど。

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2007年5月 9日

真似したくなっちゃう学校~暁星国際学園ヨハネ研究の森コース

感動的な光景だった。

小学校4年生から高校3年生まで、約50人の生徒が、大部屋で各自の計画に基づいて学習している。
「教室」というより、書斎、研究室。

一人ひとりの表情は、学びの喜びに満ち溢れている。
こういう環境、状態をつくりだすことができるんだ。

大人の関わり合いは、その光景には直接現れなかったが、
これを実現するには、大人、いわゆる教師の働きかけ、準備が非常に大切だ。
ここの大人たちは、日々むちゃくちゃ試行錯誤し、学習し続けていることが想像できる。

我が子がここで学び、そして家で我が子と刺激しあうことを想像すると、ワクワクしてくる。

ナビゲートしていただいたのは鈴木さん。
このヨハネ研究の森コースが、彼らの理想に少しずつ近づいていること、
しかしながら理想にはまだまだ到達していないから、試行し続けていかなければならないという強い意志が、静かだけれども情熱に溢れた語り口からビンビン伝わってきた。

多くの学校を訪問したが、初めて「ここなら働いてみたい」と思った。


以下、メモ。

学ぶことの本質。

学力≠正解の再現力。
テストがあるから「学力=正解の再現力」になってしまっている。

一人でこつこつ学習する→人と関わりあいをもって学ぶ。人と関わることからしか学べない。

学ぶということに自分の中に根拠を持つ。

試行錯誤する力

大人が憧れの対象になっている状態
大人が学んでいる、そしてそれを楽しんでいる、喜んでいる姿を子どもに見せ付ける

学習計画を自分で立てられる状態

欧米などの教育システムよりも、日本の歴史の中に学ぶべき教育システム、学習システムが多くある。

2007年5月11日

「数」の日本史

さて、5月7日のモユの「なぜ、イチ、ニー、サンなの?」であるが、
大人の知的好奇心をうまいこと刺激してくれた。

発問がいいというのは大事なことだ。

いろいろ文献を調べようとしたが、いまいちほしい情報が得られない。

そこでライブラリアンに相談。
さすがです、見つけてくれました三枝さん。感謝!

「数」の日本史 (著者: 伊達宗行 出版社: 日本経済新聞出版社)

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なんと帯にはこう書いてあります。

「ひい、ふう、みい」から「いち、に、さん」、 そして九九、和算、西洋数学へ…。

「ひい、ふう、みい」のほうが先だったんですね。

まえがきを引用します。

本書の構成は、日本人と数のかかわり合いを、時代区分にしたがって八章立てとする。第一章では、少し明らかになってきた縄文時代における計数に十二進法の影があるとの指摘から始め、「ひい、ふう、みい」で始まる古代数詞が、日本語の成立過程といかに連動しているかが焦点となる。そしてこれに第二章で示す大陸数文化がどのような形、内容で流入し、それが、「いち、に、さん」式の現代数詞を生み、律令国家を支え、「古事記」「日本書紀」「万葉集」などに痕跡を残したかが第三章の主題となる。

強烈な渡来文化熱が一段落した平安初期から鎌倉、室町と続く日本史には、数文化の影はよく見えない。しかし、日本人の数感覚はこの時代に醸成されていることを明らかにするのが第四章の命題である。そしてその開花が第五章で示す、寺子屋の算術教科書「塵劫記」の出現に象徴される江戸庶民の数文化である。これを背景としたわが国最初のサイエンス、和算が第六章の主役である。

第七章のテーマは日本が直面した最初のグローバリゼーション、明治維新前後に発生した数文化の革命、和算から洋算へ、である。その激動を追いながら、主題を初等数教育の変遷にしぼる。黒表紙、緑表紙と呼ばれた国定教科書時代、そして戦後教育に移行した昭和中期に、算術あ算数になったところでこの章を終える。

最終章は戦後の数教育から始まるが、ここからは史的評価のいまだ定まらない領域に入る。読者のお叱りを受けるかもしれないが、若干筆者の主観的論調も現れる。教科書が国定から検定へと移行したことの功罪、今日の理数科離れと学力低下にどう対応すべきか、そして二十一世紀の数常識がいかにあるべきか、願望も含めて本書を閉じる。


ね、おもしろそうでしょ?

さて、これを読んでちゃんと彼女が理解できるように説明できるのだろうか。

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