« 2007年3月 | メイン | 2007年5月 »

2007年4月

2007年4月 3日

カトカン81歳バースデイパーティー

本人には秘密で企画されたカトカン81歳バースデイパーティに出席。


僕が大学に入学したのが1991年。
ということは、当時、カトカンは65歳ってことか…。


さすがは一期生は40人ほど参加してました。
僕ら二期生は12人くらい。


・新設キャンパスで学んだ。
・キャンパス創設メンバーの加藤先生、潤二郎先生、井関先生、関口先生、孫福さん、清水さん、高野さん等の苦労話や思い出話を聞かせてもらった。


そんなことが僕の原体験としては大きいのだな、と加藤先生の姿を見て再確認。

200704032037000.jpg
200704032045000.jpg

2007年4月 4日

報道されていること体験したことと

報道されていること


森タワー51階で煙充満=200人避難、けが人なし-六本木ヒルズ
4月4日20時0分配信 時事通信


 4日午後6時5分ごろ、東京都港区六本木の六本木ヒルズにある森タワー(54階建て)で、警備員が「焦げ臭くて煙が充満している」と119番した。51階から煙が出ていたが、間もなく収まった。けが人はおらず、客約200人の避難誘導をした。
 警視庁麻布署と東京消防庁が詳しい状況を調べている。
 同署などによると、51階のエレベーター機械室にあるモーターの過熱が原因で、煙が出たとみられる。50、51階のエレベーターホールで白煙が立ち込めたという。
 51階に会員制レストラン、52階に展望台、53階に森美術館がある。52、53階で客の避難誘導をした。




体験したこと

18時 森タワー49階で打ち合わせ。
18時20分頃 煙臭いと感じる。
18時25分頃 社員の方が「機械が発熱して煙を出したようです。火事ではありませんのでご安心を。」と声をかける。
18時30分頃 同じ49階の別な場所で打ち合わせ。
18時55分頃 緊急放送「A階段を使って避難してください。」


「え、49階から階段で降りるの…。」


その後、社員の方が「エレベーターで避難してください。」と変更。


19時05分頃 エレベーターで2階へ。
出口で報道陣のカメラが多数。
49階で行われる予定のイベントが中止されるのか、再開されるのかのアナウンスが明確にされない。
出入口付近は混雑する。


報道と体験したことのギャップ

・119番されてから僕が避難するまでに約1時間を要した。
・「火事ではありません。安心してください。」と言われたが最終的には避難した。
・「52、53階で客の避難誘導をした」と報道されているが、49階の僕らも避難した。


危機管理の非常によい勉強になりました。


P1020614.jpg
P1020615.jpg
P1020618.jpg



2007年4月 6日

離任式

3月31日付けで辞職。
本日、学校にて離任式。

我ながら、まったくダメな挨拶でした…。


2007年4月 9日

新卒新入社員

とある企業の研修センターへ。

朝9時30分頃、大型バスが続々と到着。

今春の新卒新入社員が、慣れないスーツを着て、
大きな荷物を持ち、入口へ。
その数、ざっと150名。

入口では、社員、すなわち彼らの上司達数名が迎えている。

その様子を眺めていると、新卒新入社員は3のタイプがいることに気が付く。

(A)自分からすすんで挨拶をする。
(B)声をかけられてから、挨拶をする。
(C)挨拶をしない。

(A)は、案外少なかったです。

2007年4月11日

朝の散歩

4月になっていろいろ変わった。

朝、モユコタカンタの3人を、保育園に送っている。

車で送ることも考えたけど、時間的な余裕があるので歩くことに。

約20分の朝の散歩。
子ども達とゆっくり話をしながら、季節を感じるのは、気持ちがいいもんです。


2007年4月13日

車に興味を持ち始める

ずーっと車のおもちゃで遊ぶことがなかったが、
最近、コタロウが手に取り、ソファーやテーブルの上を走らせるようになった。

なんだか男の子っぽい。

4月になって急にオムツも取れ、一回りたくましくなった感じです。

P1020630.jpg

2007年4月14日

成長しているASIMO

前回、動く生ASIMOを見たのは、2003年4月6日のこと。
4年前だ。
その時は、階段を上手に登るASIMOを見て驚いた。


内田まほろちゃんに日本科学未来館の招待券を頂いたので、
モユコタカンタを連れて4人で出かける。

ちょうど2ヶ月くらい前に、定期購読している福音館書店の「たくさんのふしぎ」で、
ぼくたちのロボット
という絵本が届いたので、モユコタは、「ロボット」というと即反応。

そんなわけで、見てきました、最近のASIMO。

まっすぐ走るだけじゃなくて、円を描いて走りましたよ。
これは感動。

腰の部分に進化があったとのこと。


やるなあ、ASIMO。


ぼくも負けてはいられない。


2007年4月15日

4人で外出して困ること

アヤは法事で帰省。

ということで、昨日に引き続きモユコタカンタを引き連れて外出。
招待券を頂いていた「ミッキーのマジックワールド」を観に、青山劇場へ。
もっくん、みぃみ、ありがとう。


大人1人に子ども3人の外出で一番困ることはトイレ。

誰かが1人でも、トイレに行きたい、もしくは行かなくては行けないときには、民族大移動。
僕がトイレに行きたい時にも3人を連れて行かなければいけない。
となると、車椅子で入れるような多目的トイレがないと厳しい。

もう少しそれぞれが大きくなれば、子ども達だけを待たせておくこともできるのだろうが…。

こういう時、隣の人に
「ちょっとすみません、トイレに行っている間だけでも子どもをみてもらっていいですか。」
のような声かけが気軽にできる社会になればいいのだが…。

2007年4月16日

奥寺康彦さん。超一流ではないが、チームにとっては必要な選手。仕事は、理念をつくることと方向性を示すこと。

小野君が発起人の青山サッカーアカデミーへ。
今日のスピーカーは、横浜FC代表の奥寺康彦さん。
あのブンデスリーガで1977年から1986年まで活躍したのは、やっぱりすごい。

40名弱の雰囲気でドリンクも飲みながらという柔らかい雰囲気。

いくつか心に留まったメッセージを。

「謙遜しているわけじゃないけど、僕は超一流の選手ではなかった。でも、チームにとっては必要な選手だった。」

「モチベーションは、プロとして持たざるを得ないもの、持つべきもの。モチベーションを持つのが当たり前。」

「求められる選手になるためには、何を求められているのかを自分自身でまず知ること。その上で必要なプレーをする。」

「今の仕事?実はあんまり仕事してないんだよね(笑)。理念をつくること、方向性を示すこと。これが僕の今の仕事。」

2つの言葉

楽天創業時代のインタビューを受け、その後、オフィス見学。
もちろん出戻るわけではありません。


インタビューをうけながら自分で再確認できたのは、
彼からの2つの言葉に大きな影響を受けていること。


ひとつは、出会った1996年4月17日の言葉。
「銀行や商社のような大企業が日本をつくる、社会を変えていく時代は終わった。これからは、中小企業や個人が既成事実をつくることで、新しい社会をつくっていくんだ。」


もうひとつは、楽天から離れることを了承してくれた時、2002年10月の言葉。
「とにかく情熱の炎を燃やし続けること。炎を絶やさないこと。そしたらなんでもできる。」

昼飯は三木谷さんと。僕の希望で、社員食堂へ。これが初体験。

当然のことながら「次、何やるの?」からスタート。
「やっぱり学校つくります。」
「どんなん?」

いろいろなアドバイスをもらう。

どんな社会になって欲しいのか。
どんな人が活躍する社会なのか。
その学校でどんな人が育ってほしいのか。
どのような方法で行うのか。

改めて整理しておきます。

2007年4月17日

保育園の朝の玄関

朝、子どもを保育園にお願いする親は忙しい。
子どもが機嫌よく保育園に行くように、そして自分は遅刻しないように。

そんな状況なので、保育園の玄関で脱いだ靴を揃えるのを忘れることが多いようだ。
いろいろな方向を向いている靴が多い。

それを直してあげるべきか、放っておくべきか、ちょっと悩む。
今のところ放っておいているのだが、かといって「脱いだ靴はそろえましょう」というポスターを貼るわけにもいかない。

難しいところです。

そんな我が家の玄関では、僕の靴は、東西南北いろいろな方向を向いています。

誰がやったかは別にして。

2007年4月18日

釧路へ

羽田発7時50分のフライトで釧路へ。

離陸前に客室乗務員の方にブランケットをもらう瞬間、
「あれ…、お会いしたことが、たしか保育園の保護者の方…」
と思っても、シャイなので声はかけられない。

たぶんそうだよなあと思っていたら、
先方から「失礼ですが…」と声をかけていただき、
やっぱりピンポン。

びっくりしました。

さて、飛行機の中では、いろいろなアイディアが浮かぶ。

加賀谷的に言うと「物理的な移動は、思考のドライブを加速させる」ということかな。

釧路空港に着くと、少し雪が残っている。
遠くに見える雄阿寒岳、雌阿寒岳も真っ白。

22日の投開票日まで父の選挙手伝いです。

動物と魚

「好きな動物は?」
(もゆ)「んー、うさぎときりん!」
(こた)「くまさんとぉ、ぞうさんー」
(かんた)「ぞー」

「好きな魚は?」
(もゆ)「あさばがれい」 ←煮付け
(こた)「ほっけ」 ← もちろん焼き魚
(かんた)「????」

どうやら、動物は見るもの、魚は食べるものらしい。

水族館にもよく行ってるんだけどなあ。

2007年4月19日

北海道にいることを実感

4月19日の北海道新聞から。

こういう記事を見ると、北海道にいることを実感します。

どこの小児科がいい、皮膚科はここがいい、あそこの歯医者はだめだとか言っているのは、贅沢な悩みなのだろうか。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/life/21343.html

岩内協会病院 内科常勤医ゼロに 院長も今月末で退職(04/19 00:32)

 【岩内】後志管内岩内町の岩内協会病院(二百四十床)で奥山修兒院長(54)が四月末で退職し、同病院の内科の常勤医が五月からゼロになることが十八日、分かった。同病院では出張医の外来応援などで内科診療を続ける方針だが、一部休診日も出る見込みだ。

 同病院は十一科を持つ岩内地方の中核病院だが、二〇○四年度の臨床研修制度導入に伴う医師の引き揚げなどが相次ぎ、四人いた内科医は五月からは奥山院長一人になる予定だった。その奥山院長も「途中で倒れるのは目に見えている。無念だが、いくら院長といえども耐えられない」と話している。

 同病院は四月、初期診断を行い専門医に紹介する「総合診療科」(総合内科)を新設。病院を経営する北海道社会事業協会の加藤紘之理事長(札幌・斗南病院長)ら札幌や小樽などからの出張医の応援を得て、外来患者に対応している。約四十人の入院患者は、昼間は「総合診療科」で、夜間は常勤の外科医らが診る。地元医師会の協力で維持している二十四時間の救急診療体制は当面、継続する方針。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/life/21157.html

姉妹都市が外科医派遣 市立根室病院(04/18 07:58)

 【根室】四月から外科の常勤医師が不在となっている市立根室病院(百九十九床)に十七日、根室市の姉妹都市・富山県黒部市立の黒部市民病院(四百十四床)から、外科医師一人が五月五日までの期限付きで派遣された。長年の友好関係による緊急措置で、道内の自治体病院が姉妹都市から医師派遣を受けるのは珍しいという。

 黒部市民病院は現在、常勤医が七十四人。このうち外科医は六人で、根室には四人を交代で一人ずつ派遣し、外来、救急患者に対応する。

 市立病院の常勤医師は現在、前年度比五人減の六人。外科では旭川医大が三月末で二人を引き揚げ、手術や入院ができなくなった。根室市は五月以降の外科医確保に向け国と調整しているが、それまでの空白期間について黒部市に医師派遣を要請。同市は「根室は災害に準じた大変な状況」として協力を決めた。


 根室には明治初期、黒部出身者が多数訪れ、水産都市の基礎を築いた。両市は一九七六年に姉妹都市提携を結んでいる。



http://www.hokkaido-np.co.jp/news/education/21344.html

「学力テスト拒否せず」 北教組書記長会見 反対姿勢は堅持(04/19 00:24)

 北教組の小関顕太郎書記長は十八日、道庁別館で記者会見し、文部科学省が二十四日に行う全国学力テストについて、市町村教委が市町村や学校単位の成績を公表しないことを条件に、当日は「非協力という対応はとらない」と発表した。

 小関書記長は「当日の労務拒否を強行しても、(非組合員の教員が対応できるため)子供がテストを受けるのは事実。責任を果たしたことになるのか」と説明。市町村教委が公表に踏み切らないよう監視を続け、責務を果たしていく考えを表明した。

 道教委が今年二月、非協力の教員には「厳しく対処する」と警告したことが影響しているかについては「関係ない」と否定した。

 北教組は、成績が公表されれば「学校や地域が序列化される」懸念があるなどとして学力テストに反対してきた。しかし道教委が今月十二日、北教組に「市町村単位の成績公表をする意思はない」「市町村教委にも公表しないよう要請している」などと伝えたことから、一定の歯止めはかけられると判断した。

 学力テスト反対の姿勢は堅持し、テスト実施後に浮かび上がった問題点を指摘し、来年以降の中止を働き掛けていく。

 これに対し道教委の穂積邦彦学校教育局長は「学力テストには道内全百八十市町村の参加が決定しており、円滑な実施に向け万全を期したい」と述べた。


2007年4月20日

昭和19年4月22日生まれの平成19年4月22日

父の誕生日は、昭和19年4月22日。

そして今回の選挙の投開票日が、平成19年4月22日。

これは何か仕組まれてますね。


2007年4月22日

9票差

僅差での勝利でした。

釧路市議会議員 音別選挙区 定数:2

菅野 猛 無所属・現 678
本城 洋 無所属・現 463
細野 勝 無所属・現 454
紺野 稔 共産・新 259

2007年4月24日

折りたたみ式 薪ストーブ

今、一番欲しいもの。

折りたたみ式薪ストーブとそれ対応のテント。

・薪ストーブ Ken-G http://www.kaisoku.org/mart_m/kaki/keng.html
・伝伍 http://www.kaisoku.org/mart_m/tent/dengo.html

この薪ストーブは最高でしょう!

「人はね、ファミリーを失ってもホームがあれば生きていけるんです」

人はね、ファミリーを失ってもホームがあれば生きていけるんです。
でもホームを失ったら、生きていけない。
ホームとは、自分を預けたり、支えてもらったりする場所。
子どもってね、支えてくれる大人が1人でもいればまっとうに生きていけるんです。

佐藤学(東京大学大学院教育学研究科教授)


日経キッズプラス 第19号(2007年6月1日号) 33ページ

これはかなりのヒットです。

2007年4月25日

計画卒乳

カンタが順調に卒乳しています。

当然のことながら、モユとコタロウはすっかり前に卒乳してますが、
カンタの場合は、ちょっと今までとは状況が異なります。

モユはコタロウの妊娠によって、
コタロウはカンタの妊娠によって、自然卒乳(?)しましたが、
カンタの場合は、現在アヤが妊娠していないので、計画卒乳しなくてはなりません。

ということで、アヤは母乳マッサージなどに通い、いろいろとアドバイスを受け、今回の計画卒乳実施です。

卒乳したカンタは、見事なくらい食欲がアップ。
モリモリ食べてます。

まあ、でもちょっと未だに飲みたそうにしてますが、なんとか飲まずに過ごせているようです。

2007年4月27日

いい学校

「いい学校」にはいろいろな要素・条件があるだろうが、
今回の視察は、それを感じさせてくれた。

丸一日かけて、とある学校法人の関連の幼稚園、小学校、高校、短大、大学、専門学校、学生寮を駆け足で案内して頂いた。

一番驚いたのは、訪問する先々でのトップからの指示の徹底とスタッフの方々のホスピタリティの高さ。
このスタッフの姿勢は、今までで訪問した学校の中でも群を抜いていた。

教員だけではなく、それ以外の学校で働く人々の力も、「いい学校」をつくるには重要だということを改めて感じた。

2007年4月29日

必死

東根公園にて、3対1。

どちらも必死です。
生きるというのは、必死ということか。

必死か?

P1020719.jpg


公園での親

東根公園に駒沢公園内のブタ公園。

公園に子どもを連れてきている親はこんな感じです。

(A)一緒に遊んでいる
(B)カメラ片手に必死に撮影
(C)ベンチに座り、見守る
(D)ベンチに座り、携帯電話をいじるか本を読んでいる

GW中の公園はにぎやかです。

2007年4月30日

父一人子三人生活

さて、今日から5月8日まで、父一人子三人生活です。

アヤは、友達の結婚式でLAへ。
たぶん2002年6月以来の海外旅行かな。
子どもとこれだけの期間、離れるというのも初体験だろう。
ご褒美ですな。

ということで、僕にとっても三人とたっぷりと時間を過ごすいい機会。

今日は、はなちゃん家、もあな家と共にこどもの国へ。
満喫してきました。
サポート、ありがとうございました。>けんさん、みきさん、みいみ

家に帰って、アヤが用意して出かけてくれたカレーを食べる。
風呂では、溺れかけたカンタをモユが救う。
かなりかっこよかったです。
洗い場でオレは焦ったが…。

いつも通り20時には就寝。
その後、僕は後片付けに洗濯などなど。

こりゃーやっぱり大変だ…。

アーカイブ