靴磨き、撮影はモユ。
2週間に一度くらいは靴を磨こうと思って、
1ヶ月くらい前に靴磨きの道具を少し買え揃えた。
靴紐がダメになった靴が一足あったので、
買い置きしていた靴紐に付け替えるついでに、靴を磨く。
靴磨き講座があったら絶対に出たい。
アーテリジェントスクールとかで取り扱いそうなテーマだけど、やってくれないかな。
磨いていたらデジカメを持ってモユがやってきた。
パチリ。
磨いている姿と磨き終わった靴。
2週間に一度くらいは靴を磨こうと思って、
1ヶ月くらい前に靴磨きの道具を少し買え揃えた。
靴紐がダメになった靴が一足あったので、
買い置きしていた靴紐に付け替えるついでに、靴を磨く。
靴磨き講座があったら絶対に出たい。
アーテリジェントスクールとかで取り扱いそうなテーマだけど、やってくれないかな。
磨いていたらデジカメを持ってモユがやってきた。
パチリ。
磨いている姿と磨き終わった靴。
159名の卒業生のみなさん、東山田中学校1期生159名のみなさん、卒業、おめでとうございます。
また、このように多数のご来賓の皆様、保護者の皆様のご臨席を賜り、記念すべき第1回の卒業証書授与式が挙行できますこと、高いところからではございますが、心より厚く御礼申し上げます。同時に、ご参加の保護者の皆様、本日はお子様のご卒業、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げますとともに、新設校という状況の中で本校の教育活動に多大なご協力をいただきましたこと、厚く御礼申し上げます。
さて、卒業生の皆さんには、9月から10月にかけて、各クラス1回ずつ授業をしました。今日は少しだけその授業の続きをしたいと思います。その授業の時、こんなことをみなさんに問いかけたのを覚えていますか?
2050年。今から45年後、みなさんが60歳になった頃に、どんな社会になっていてほしいですか? そして、どんな自分になっていたいですか?
みなさんが挙げてくれた2050年の社会は、「自然がいっぱい残っていてほしい。」「争いごとがない社会。」「どこでもドアが発明されていてほしい。」「不治の病が少なくなってほしい。」などが挙がりましたね。また、2050年の自分は、「バリバリに働いていたい。」「賢くなっていたい。」「孫に囲まれていたい。」「10cm背が高くなっていたい。」「庭付きの家に住みたい。」「笑顔でいたい。」「健康でいたい。」などの意見が出ていました。2050年、そんな社会になったらいいな、皆さんが思い描いているような姿になってくれたらいいなと私も思います。でも、残念ながら、そんな保証はどこにもありません。未来はそんなに甘くもないし、明るくはないのです。
2050年頃の社会予測には、明るい話はほとんど見当たりません。人口減少し少子高齢社会が到来している日本、その一方で爆発する世界の人口、エネルギーの枯渇、自然環境の破壊、なくならない紛争、広がる経済格差。そういった厳しく激しい社会変化の中でみなさんは生きていくのです、生き抜いていくのです。そのためには、どうしたらいいのでしょうか。
私は、こう考えます。
安易に気軽に、夢だけを持たないことです。夢を持たない。その代わりに、志を持つ。
ぼんやりとした夢の変わりに、強い志を持つのです。「○○○であってほしい。」「○○○になりたい。」という曖昧な夢ではなく、「○○○にする。」「○○○になる。」という強くはっきりとした志です。
夢に志というハシゴをかけるのです。
夢が、頭の上のここらへんにぼんやりあるとすると、志がある場所は、この心のど真ん中です。志を持つということは、手の届かないところにある、夢にハシゴをかけることなのです。
卒業生の皆さんは、3年生の英語の教科書で出てきた、キング牧師の言葉、「I have a dream.」を覚えていることと思います。この言葉は大抵の場合は、「わたしには夢がある。」 そう日本語に訳されています。しかし、私はこの訳は間違っていると思います。「I have a dream.」 は、こう訳すべきではないでしょうか。 「私には志がある。私は志を持って生きている。」 キング牧師は、ぼんやりと夢を見ていたのではなく、はっきりとした強い志を持ち、生き抜いていたのだと思います。
「志す」という漢字は、「こころがある方向を目指して行く」という意味を持っています。ただぼんやり見ている夢とは違い、具体的な行動が伴うのが「志」です。夢よりも、強いエネルギーとパワーがあるのが「志」です。
では、「志」はどうやったら持てるのか。
とても簡単な方法があります。明日からぜひ実践してみてください。毎日、朝起きたら、「今日はこういう一日にする。」と思うことです。そして寝る前に、「今日はこういう一日だった。明日はこうする。」と思うことです。きっとこれならできるはずです。ほんのちょっとのことです。でも、もしかしたらこれを毎日やるというのは、すごく大変なことかもしれません。0.9と1.1の話をしたことを覚えているでしょうか。0.9をずっと掛け算していくとゼロに近づきます。1.1をずっと掛け算していくと、どんどん大きくなります。毎日のほんの少しずつの積み重ねが、将来大きな力となるのです。ほんの数十秒でいい。朝起きたら、「今日はこういう一日にする。」夜寝る前に、「今日はこういう一日だった。明日はこうする。」と、心のど真ん中に太い志を立ててください。
東山田中学校1期生の皆さん一人ひとりの志が、2050年の社会を明るく照らしてくれることを期待しています。
最後に、この学校で、皆さんと出会えたこと、本当にうれしかった。また、いつかどこかで、お会いしましょう。1期生のみなさん、ありがとう。そして、卒業おめでとう。
平成18年3月10日
横浜市立東山田中学校
校長 本城愼之介
大人用のパスタを横取り。
こっちのほうが気に入った。
コタロウの味覚はけっこう渋い。
豪快に食べてます。
その後、オムツを替えるのは大変だったようです。
昨日は横浜市立中学校146校すべてで卒業式。
東山田中も第1回目の卒業式を無事終えた。
式辞はこんな具合でした。
今日は、保育園の卒園式。
まだ卒園ではないけど、過去2回参加している。
これがまた泣ける。
卒業式と卒園式、共通点が1つ。
どちらも90分間。
6歳児16名が壇上で90分間近くしっかり座っていられるのに感動。
すごいことです。
大学時代の友人の黒川に誘われて、文京区にある日輪寺へ。
ここの和尚さん(といっても、僕が想像している和尚さんのイメージではなかったが)に会いに行く。
手料理をごちそうになり、日本語についてなど、いろいろな話をする。
料理はどれもこれもうまかった。
特に、アンコウ鍋。
体調がイマイチだったのが残念。
お寺の中で和尚さんとあんなに長く話しをするなんて、生まれて初めてでした。
ごちそうさまです。
今朝、モユが描いたお父さんの絵です。
ヒゲがあり、メガネがあります。
親バカです。
お弁当が復活しました。
やっぱり、手作り弁当が何よりです。
感謝感謝。
3月13日
3月15日
この日のご飯のごま塩は、モユが振りかけたとのこと。
左下の椎茸のおかずで、かなりご飯が進みました。
とりあえず写真だけ
かおり、すずこ、とも、あゆむ、タグチくん、りょうへい
かおる、ゆかり、オレ、れん
同窓会といっても、みんな15歳くらい年下です。
最近のコタロウの読書量はすごい。
一日に50冊以上は手にしているのではないだろうか。
本棚の絵本を片っ端から手にして、どんどんページをめくっていく。
読んでいるというふうには見えないが、絵はしっかり目におさめている雰囲気。
まさに速読をしている人のよう。
手に本を持っていないと機嫌が悪いことも多く、それはそれで大変です。
いずれにせよ、本が好きだということはいいことだ。
出した本を自分で本棚にしっかり片付けられるようになれば、最高なのだが。
カンタはくりくりのくせ毛。
しかも、ちょいと茶色い。量も多い。
僕もアヤもくせ毛ではないが、たぶん義父の髪質に似たような気がする。
3人の中で一番大きい気がしていて、すでに70の服は小さい。
すでに自分で寝返りを打つような仕草をしている。
最近は表情も豊かで、コタとモユにいたずらされて、笑顔を見せている。
そんなわけで、今日で丸3ヶ月。
まずは、またしても食べ物で遊ぶモユ。
大好物のソーセージ。
ソーセージが大好物というのも、親としてはちょっと悲しい。
噛み切ってこんなふうに並べる。
どんどん並べて…
お次は、こんなふうに遊ぶことを想定されている くまのひも通し。
ソファーにセロハンテープで貼られました。
「これ何?」
「あのね、タコのスミが出るところろなんだよ。」
ほー、タコのスミの出るところね…。
我が家は、子どもは僕らのことを「お父さん」「お母さん」と呼ぶように
生まれた頃からモユもコタロウもしつけている。
ちゃんとモユもコタロウも「お父さん」「お母さん」と呼んでいた。
ところが、2週間くらい前から、急にモユは「ママー」と呼び出した。
最初は泣いたりした時だけ「ママー」なのかと思って、
ほうっておいたら、ここ1週間くらいは普段も「ママー」になってきた。
挙句の果てには、僕のことを「パパー」と呼ぶようになった。
パパと呼ばれるのは気持ちが悪いのでやめてほしいのだ。
そしたら、コタロウも真似して「パパー」となってきた。
このままでは、カンタもママパパになってしまう。
「お母さんはママと呼ばれるの嫌いなの。」
「うちにはパパはいません、お父さんならいます。」
と言ってるんだけど、あまり効果なし。
保育園の友達は、パパママと呼んでいる子が多いからかなあ。
大問題である?! :p
「旭山動物園の奇跡」を読む。
「行動展示」とかいろんな工夫があって、上野動物園より入園者数が増えて、「日本一の動物園」として有名なわけだ。
この本のタイトルは、大嘘です。
あらためてこの本を読んで思ったのは、奇跡なんかは起きないってこと。
旭山動物園も、結局のところ、上野動物園より入園者数が増える準備をずーっとしていたわけだ。
別にそれは奇跡でもなんでもなく、ある意味、必然。
市長が変わって風向きが良くなったというのも、ラッキー!と思うかもしれないけど、
その時に、しっかりとあたためてきたプランをびしっと情熱もって伝えられたというのも、
これは長年の準備の成果。
絶対に奇跡なんて起こらないのだ。
準備が大切。