週末は泰阜村「だいだらぼっち」へ行き、登り窯の窯焚きに参加。
味わい深い時間でした。
来年は、自分のつくったものも窯に入れてみたい。
また感じ方が違ってくるはず。
さて、今回の登り窯には、昨秋にモユがここでつくった器が入っていている。
その時に関わってくれたのが、だいだらぼっちのスタッフ、ぎっくとまるちちゃん。
この時も1泊2日だったし、大勢の家族と似たような年齢の子どもが沢山だったので、ぎっくとまるちゃんとじっくり過ごす時間は、モユやコタロウ、カンタにもそれほどなかったはず。
それなのにも関わらず、ぎっくとまるちゃんに再会できることを、
「ぎっくに会えるんだよね?まるちゃんのところに行くんだよね?」と3人とも本当に心待ちにしていた。
我が家はお客さんが多かったり、出かけることもけっこう多いので、我が子たちもいろいろな人との関わりがある。
たくさんの人達との出会いの中でごくごく稀に、ぎっくとまるちゃんのように、子ども達が「また会いたい」と強く思い、それを僕らにしっかりと伝えてくることがある。
子どもが持つ「また会いたい」っていう気持ちは、ストレートで純粋だ。
そしてその対象となる人には、なんとなく共通の雰囲気があるような気がしている。
その一つはきっと「深いところの安心」だろう。
水族館や遊園地みたいなところに行くのは、もちろん楽しい。
何かを体験して、ワクワクするのは楽しいし、喜びでもある。
それとは違って、ぎっくやまるちゃんに「また会いたい」という気持ちは、自分自身が受け容れられている深い安心感なんじゃないだろうか。
なんかそういう人には、そういう雰囲気がある。
そう、それは魅力なのではなく、雰囲気だ。
我が子が「また会いたい」という人に出会えて、そしてそれを表現してくれるのは、とても気持ちがあたたまる。
「安心」と書いたけど、「懐かしさ」のほうが近い感覚のような気がしてきた。
モユやコタロウ、カンタが、ぎっくとまるちゃんに感じている安心感。
モユやコタロウ、カンタが、ぎっくとまるちゃんに感じている懐かしさ。
うん、「懐かしさ」のほうがしっくりくる。
さてさて、長い車での移動を終え、家に帰ってきてから、お風呂の中でモユが僕に質問をしてきた。
「ねぇ、だいだらぼっちの生活と、家での生活、どっちが楽しいと思う?」
彼女の中で、「だいだらぼっちでの生活」がちょっと気になりだしてきたみたいだ。
今後、どんな展開になるのか、楽しみです。
コメント (2)
「だいだらぼっち」懐かしいです!
小学生のころ1,2週間のキャンプに参加してました。
ぎっくと一緒に土器をつくり、野焼きしたことを思い出しました。
本城さんは、「だいだらぼっち」への山村留学勧めますか?
投稿者: Shori | 2010年2月19日 23:00
日時: 2010年2月19日 23:00
へー、ショウリもだいだらぼっちのキャンプとか参加してたんだ。
そうかそうか。
勧めるかどうかは別にして、子どもが何年生であっても本人が「行きたい」って言うなら、その気持ちは尊重するかな。
投稿者: しんのすけ | 2010年2月20日 09:13
日時: 2010年2月20日 09:13