ひとつの可能性としては、学校と地域が一体となって子どもを見守る中で、「社会的な問題」とされた要素が消滅するという解釈も成り立つ。何が原因で誰が悪いのかということではなく、周りとの関係性が変化することでそれまで「問題」だと思われていたことがそうでなくなるということも、十分にあるのではないだろうか。(「日本で『一番いい』学校」 p31 金子郁容 岩波書店)
これは、小学校学齢期の4人の息子全員が不登校だったAさん一家が、徳島県美波町伊座利の小学校に転校するエピソードを紹介するときの一文である。
さて、今日、「ディスレクシア(難読症)の不思議」という講演会を聴きに行った。 講師はNPO法人エッジ会長の藤堂栄子さん。 息子さんが、そしてご自身もディスレクシアとのこと。
藤堂さんの話を聴き、ディスレクシアの擬似体験もした時に
まさに上で紹介した金子先生の言葉がしっくり来た。
今までの知識だけだと見えてこなかった部分が見えてきて、ちょっとすっきりした感じ。