「仕事の学校」のプログラムについて練っているうちに
我が家ではどうやって「仕事」について意識させようか考え込む。
お手伝いは大事だと思っている。
お手伝いをすることで、「働く」ことが何を自分にもたらすかを、家庭で伝えることができるから。
ただ、「お手伝い」をする機会を意識してつくらないと、家庭からはお手伝いがどんどんなくなる。
家電製品はどんどん進化し、家事は楽になりつつある。
お手伝いすることもあまりなくなる。
それに子どもに「お手伝い」をさせることは、正直言うと、効率的じゃない。
我が家では、食事後の食器は自分でキッチンまで運ばせる。2歳になったばかりのカンタにもそれは求めている。食器はプラスチックのものではなく、落とせば割れるものばかりなので、当然、何度か食器は割れている。(幸い怪我はない。)
また、当然のことながら次の遊びに意識が行って、食器を運ばずに走り去ることもある。
その度に、「運びなさい」「イヤだー」のやり取りを繰り返すのも面倒。
「お手伝い」だから大人と同じようにできないこともある。
僕は強烈に覚えているのは、確か小学校5年生の頃の出来事。
冬休み中、米研ぎを毎日の手伝いとしてやろうと決め、母親にお願いして任せてもらっていた。
1週間ほど経ってから、父が「最近のご飯は、まずい。研ぎ方か炊き方が悪いんじゃないか。」
ということになり、呆気なく僕の米研ぎの手伝いは、中止させられた。
「子どもが一生懸命、北海道の冬の冷たい水で米研ぎしようって言っているのに中止させるなんて、どういうこと?」と当時はかなりショックだった。
ちなみに、この出来事を、当時の僕は「続かなかった米研ぎ」とかいうタイトルの作文にして残していて、今でも持っている。
我が家でも時々、子どもと一緒に餃子をつくるなど料理を一緒にする。
そうそう、昨日はピザを生地からつくった。
大人がやる3倍以上の時間がかかり、いろんな具がぐちゃぐちゃに盛り付けられたピザが完成。
子どもたちは大満足。ただ、当然、粉はそこら中に飛び散り、服は真っ白…。
後片付けは大変だ。
まあ、とにかくお手伝いなんかさせずに、大人が自分でやったり、家電製品を使ったり、業者に任せたほうが効率は絶対にいい。これは間違いない。
でもやっぱり、お手伝いは生活の中にしっかりと組み込みたい。
お手伝いからいろいろなことを子どもは気づき、感じ取れると思う。
まだ我が家も子どもが小さいのでいろいろな制約はあるが、
成長するにつれ任せられること、お手伝いできることも増える。
具体的に考えると。
我が家は来年4月には薪ストーブ生活になる予定。
そうなると、「薪割り」というお手伝いをつくりだすことができる。
そうなると「土日に使う薪は、子どもが割った薪しか使わない。」というルールを設定しよう。
「夏はストーブを使わないから薪割りしなくていい。」と思ったら大間違い。
冬に大量の薪を使うわけだから、夏の間も薪割りをしておかないと、とんでもないことになる。
現時点で5歳、4歳、2歳、0歳という子どもの年齢差もおもしろい。
上の子二人が斧を使って薪を割って、下の子二人が運ぶという役割分担も発生するだろう。
まあ、最初のうちは「土日」ではなく「土曜日の午前中」とかそういうレベルかもしれないけど、これはいつか試してみよう。