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2007年12月28日

差別意識と「みんなと同じがいい」

昨日の夕食にて。モユとの会話。


「○○くんって、日本人じゃないんだよね?」
「なんで?」
「だって、肌の色が違うもん。」
「肌の色が違うと、日本人じゃないの?」
「うん、みんなと違うから。」
「そうかあ。みんなと違うとダメなのかなあ?」
「んー…。」
「みんなと違うと、モユはイヤだったり嫌いだったりするの?」
「んー、なんかそういう気持ちもちょっとある。」



「じゃあ、ここにいる人の中で、モユだけが違うところ探してみようか。
 あー、モユだけ、髪の毛をのばしてるー。
 あー、モユだけ、ピンクの服を着てるー。
 どんな気分?」
「イヤな気分。」
「じゃあ、お父さんだけ違うところ探してみようか。
 お父さんだけ、メガネかけてる。
 お父さんだけ、おひげが生えてる。
 どう、お父さんのこと嫌い?イヤ?」
「ううん、イヤじゃない。」
「じゃ、なんで肌の色が違う○○くんのことは、そう思っちゃうんだろうね」
「んー、ちょっと難しい。」



「モユはどこに住んでるの?」
「東京。」
「ほかには?」
「日本。」
「ほかには?」
「ん、わかんない。」
「地球って言葉しってる?」
「しってる。」
「モユもお父さんも○○くんも地球に住んでるよね。同じ場所に住んでるんだけど、それはわかるかな?」
「んー、わかる。」
「その点では、みんな同じなんだけどな。」



「モユはさ、みんなと違うのはイヤなの?」
「うん。みんなと同じほうがいい。」
「んー、そうかあ。いろいろ違ってもいいし、実際には、いろいろ違うんだけどな。」
「なんかちょっと難しくて、わからない。」
「そっか。難しいかぁ。難しいよね。」


肌の色が違う、日本人じゃない、だからちょっとイヤという言葉が自分の子どもから発せられたことに、正直ショックを受けた。
おそらく悪気というか、深い意識はないのかもしれないけど、そう思っている事実はあるわけだ。
同時に「みんなと違うのはイヤだから、みんなと同じがいい」と思っているのも、心配。



子どもは残酷な面も持ち合わせているので、
「アナタはワタシタチとチガウ。だからキライ。」ということも平気で本人の前でも言ったりもする。
たとえ本人の前で言わなかったとしても、友達同士で「アノコはワタシタチとチガウ。だからキライ。」と会話することだってある。
こうしてまるで空気感染のように差別意識は蔓延し、それと同じように「みんなと同じにしておこう」という意識も伝播する。

こういったことは、幼稚園や保育園でも普通に起こっているだろう。
でも、それに対して「指導の目が行き届いていない!」などと幼稚園や保育園にクレームを言うのはお門違い。これはあくまでも親の責任。



さて、こういった小さい頃に芽生える意識を、どうやって親として向き合っていくのがいいのか。
モユにはそういう意識があるということを知っただけでも、僕にとっては大きな気づきではある。



今回の僕とモユとの会話は、振り返ってみると、僕自身の焦りが発問に表れていて、あまりいいやり取りではないなあ。反省。
しかしながら、親子ともどもいい成長、学習の機会であることには間違いない。

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