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2003年10月23日

入院の思い出

小学校1年生の3月の半ば頃だと思う。
3学期の終業式の直前に、僕は釧路日赤病院に入院した。

入院する2日前くらいから、体中がむくみはじめて、
痩せていた僕があっという間にデブになった。

自分のおへそを見て驚いた。
縦長だったおへその穴が、なんとお腹が膨れて横長に潰れていた。
「オレのヘソ、どうなっちゃうんだろう。」と真剣にヘソのことを心配した。

でも、実はヘソだけじゃなくて、体中がむくんでいた。
20kgだった体重は2日間で30kgになった。

終業式近くになるとクラスの集合写真を撮るんだけど、
僕は「顔がいつもと違うから」という理由で、本来の位置ではなく、
端のほうに移動させられた。

その日の夜、父も母も医学書を見たり、電話で病院に相談したり、
ばたばたしていた。
カバーを剥ぐとオレンジ色というか山吹色のハードカバーの家庭の医学書が
家にはあった。

僕もそれを読みながら、もしかしたらこれが原因かもしれないと思い当たるものがあったので、正直に母に白状することにした。

「お母さん、実は冷蔵庫の中にあった、タラコを一本全部こっそり食べちゃった。」

塩分を取りすぎたから、こんなヘソになったんだろうと思ったのだ。
母は笑っていた。

翌朝、釧路日赤病院に行くと、「ネフローゼかもしれません」と診断された。
母はその診断結果を聞いて、泣いていた。

そのまま入院。6人部屋。
夕食に出てきたのは、蕎麦寿司。
お蕎麦を茹でて酢の味にして、のり巻きみたいにしてるやつ。
僕は、1つも食べられなかった。
おいしいとかまずいとかじゃなくて、なんか食べ物がノドを通らなかった。

それ以来、僕は蕎麦寿司が嫌いだ。

とにかく塩分と水分を取らないこと、というのが病院からの指示。
病院食以外は一切口にしてはならない。
食事も塩分がない。塩分がないと、本当に食事は味気ない。
最悪だった。

水分をとってはいけないけれども、粉薬はたっぷり毎食後に服用しなくちゃならなかった。
水を飲まないで、どうやって粉薬を飲めというんだ?しかも小学校1年生に…。

誰かからアドバイスをもらったのか知らないけれども、
母は、売店からオブラートを買ってきて、僕に薬を飲ませた。

小児病棟だから、お見舞いがたくさん来る。
僕にも来るけど、他のベッドの人にも来る。
お土産も持ってくる。
みんななぜかお菓子だった。それか果物。

僕は病院食以外食べちゃだめだった。

持ってきてくれたお菓子や果物は、みんな同じ部屋のほかの子どもにあげた。
それをみんなおいしそうに食べていた。

僕の学校の校長先生は、大きなソフトクリームを持ってきてくれた。
コーヒー味とバニラ味がからまっている例のソフトクリーム。
でも、やっぱりそれも食べられなかった。
隣のベッドの子にあげた。

病院食以外のものを何か食べたかった。
どうしても食べたかった。

思いついたことがあった。
病院食以外で食べているもの、そうだ、オブラートは薬と一緒に食べている。
じゃあ、オブラートなら食べていいんだ!!

そう思って、オブラートだけを少しずつこっそり食べていた。
おいしかった。
むちゃくちゃおいしかった。
少しずつのつもりが、どんどん食べていた。

あまりのオブラートの減り具合に、さすがに母が気がついた。

「食べてるでしょ?」

あっという間にばれた。

本当にオブラート、おいしかったなあ。

最終的には、ネフローゼではなく、急性腎盂炎だった。
1カ月と10日間入院した。

母は毎日欠かすことなく、朝から夜まで面会時間ぎりぎりまでずっと付き添ってくれていた。
専業主婦ではあったが、病院まで汽車とバスを乗り継いで1時間20分。
さすがに毎日だと疲れただろうなあ。

僕には、1歳違いの妹と4歳違いの弟がいた。

この頃は、入院している僕のほうが、妹や弟よりも母と一緒に過ごしていた。
文字通り、母を独り占めしていた。
そんなことは後にも先にもこれっきり。

そう考えると、入院もいいもんだった。

コメント (4)

然ちゃん、具合はいかがですか?早く良くなるように足柄から祈ってます。また一緒に遊ぼうねって伝えといてください。
入院の話、他人事じゃない。しんのすけの入院も、然入院も。

僕はネフローゼで2年入院したんだ。だから幼稚園も中退。中1までステロイドを飲み続けてたし、中3までは食餌療法を続けて、月に1度は病院に通ってた。
再発は一度もなかったけどね。

親父もお袋も、本当に心配しただろうと思う。
僕が住んでいた富士市から入院していた静岡の子ども病院までは車で1時間。4歳下の妹が生まれたばかりで、兄貴は小学校にあがったばかり。

今でも僕とお袋が号泣してしまうエピソード。
1年生の兄貴が、妹の面倒を見ながら留守番している。
冬の夕方で、周りはまっくら。親父はまだ仕事から戻らない。
兄貴は家中のありとあらゆる電気をつけて、歌を唄ってる。どうにか不安な気持ちを押さえつけて、帰ってきた母親に、「お帰り!あきら、どうだった?」って声をかける。
幼い僕には、知りようがないエピソードだけど、兄貴はまだはっきりと記憶にあるって。

こうしてる今、もう僕はティッシュを4枚は使ったね。

健康第一って、ほんとだね。

本城愼之介:

ほんとやっぱり健康第一。
予防医学ですね。

ところで、そのティッシュ4枚は、ちゃんと涙を拭くために使ったんだよね?
別の用途で使ってないよな?

例えば、鼻水をかむためとか…、●△×★*!●とか…。(自分のblogでこんなこと書く必要ないのに 笑)

あっちの方は、4枚では足りん。

何を言わすんだ・・・。

明日、物件探しの旅に出てきます。
場所は青砥~金町の間。
決めてくるぜ!

ほんとにまったくもー。

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