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2003年10月 9日

ものもらい

曽野先生の木曜倶楽部に参加。

学生、現役の教員、ラジオ局の人、呉服屋さんなどなどが集まる。

あの学生にフォローをしておけばよかったなあ、
と帰りの電車の中でふと思う。

何が始まったかわからずに、きょとんとすることってあるもんな。
優先順位を指定してあげることも、必要。


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公立小学校。
いろいろな境遇の家庭環境が、そこには反映される。

ものもらいは、やっぱり自然治癒じゃなくて、
病院に行って治したほうがいいに決まってる。
でも、オレだったら、その子と関わりを持ったときに、
どういうことができるんだろう。
クラスには、その子だけがいるわけでもない。

おそらく小学校に入る前に、ほとんどの子は文字が読めいてる。
ひとりだけ文字が読めない。
でも、教科書をつかって授業は進む。

この問題に対して、24時間以内にできることは何だろう?

そのヒントが明日の打ち合わせで見つかるかもしれない。
あそこに協力してもらおう。
協力してもらえそうだったら、彼女に連絡しよう。
文字が読めるようになるかもしれないから。

全国でたくさん起こっていることの1つでしかないんだろうけど、
でも、ひとつの具体的な出来事を知ってしまったのも、何かの縁。

コメント (4)

内村 有希:

 玉川大学の夏のスクーリングでご一緒させていただいた内村です。久しぶりにホームページを拝見させていただきました。
 そういえば、私の弟も字が読めないまま小学校に入学し、テスト問題も読めずに先生に読んでもらって何とかやっていたのを思い出しました。
 母は学校で字を教えて読み書きできるようにしてくれるものだと考えていたようで、字が読めないまま弟が小学生になった当時を振り返り、今では笑い話として語っています。
 結局2年生になるまでにはひらがなを読み書きできるようになって、何とか小・中学校・高校・大学を卒業し、今では社会人となっています。
 一概には言えないですが、字が読めないことってそんなに問題視することではないと思います。本人に字を読む必要が出てくれば自然に覚えていくものだから。

私も小学校に入るまでほとんど読めなかった気がする。
MARUは読めるし書けるが、私は一切教えていない。彼女はお友達にもらった手紙のお返事をどうしても書きたくて、自分の部屋に張ってあるポスターを見ながら毎日毎日、暇さえあれば文字を書いていた。でも、未だに本を読むほどには読めない。読みたい欲求よりも書きたい欲求の方が強いから。そのままほってあるけどね。

エントリーの内容とは直接の関係はないんだけど、
「具体的な出来事を知ってしまったのも、何かの縁」ってところが今の僕にとても力を与えてくれます。

本城愼之介:

そう。別に小学校1年生で読めてなくてもいいんだけどね。
読もうという動機付けがあれば。
それが、なかなか難しい環境というのもあるんだという現実を知ったんだな。

内村さん、今回の選挙は??

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